変身
原題:DIE VERWANDLUNG
著者:フランツ・カフカ Franz Kafka
へんしん
文字数:56,275 底本発行年:1960
ある朝、グレゴール・ザムザが気がかりな夢から目ざめたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変ってしまっているのに気づいた。 彼は甲殻のように固い背中を下にして横たわり、頭を少し上げると、何本もの弓形のすじにわかれてこんもりと盛り上がっている自分の茶色の腹が見えた。 腹の盛り上がりの上には、かけぶとんがすっかりずり落ちそうになって、まだやっともちこたえていた。 ふだんの大きさに比べると情けないくらいかぼそいたくさんの足が自分の眼の前にしょんぼりと光っていた。
「おれはどうしたのだろう?」と、彼は思った。
夢ではなかった。
自分の部屋、少し小さすぎるがまともな部屋が、よく知っている四つの壁のあいだにあった。
テーブルの上には布地の見本が包みをといて拡げられていたが――ザムザは旅廻りのセールスマンだった――、そのテーブルの上方の壁には写真がかかっている。
それは彼がついさきごろあるグラフ雑誌から切り取り、きれいな金ぶちの額に入れたものだった。
写っているのは一人の婦人で、毛皮の帽子と毛皮のえり巻とをつけ、身体をきちんと起こし、
グレゴールの視線はつぎに窓へ向けられた。
「ああ、なんという骨の折れる職業をおれは選んでしまったんだろう」と、彼は思った。
「毎日、毎日、旅に出ているのだ。
自分の土地での本来の商売におけるよりも、商売上の神経の疲れはずっと大きいし、その上、旅の苦労というものがかかっている。
汽車の乗換え連絡、不規則で粗末な食事、たえず相手が変って長つづきせず、けっして心からうちとけ合うようなことのない人づき合い。
まったくいまいましいことだ!」彼は腹の上に軽いかゆみを感じ、頭をもっとよくもたげることができるように仰向けのまま身体をゆっくりとベッドの柱のほうへずらせ、身体のかゆい場所を見つけた。
その場所は小さな白い斑点だけに
彼はまた以前の姿勢にもどった。 「この早起きというのは」と、彼は思った、「人間をまったく薄ばかにしてしまうのだ。 人間は眠りをもたなければならない。 ほかのセールスマンたちはまるでハレムの女たちのような生活をしている。 たとえばおれがまだ午前中に宿へもどってきて、取ってきた注文を書きとめようとすると、やっとあの連中は朝食のテーブルについているところだ。 そんなことをやったらおれの店主がなんていうか、見たいものだ。 おれはすぐさまくびになってしまうだろう。 ところで、そんなことをやるのがおれにとってあんまりいいことでないかどうか、だれにだってわかりはしない。 両親のためにそんなことをひかえているのでなければ、もうとっくに辞職してしまっているだろう。 店主の前に歩み出て、思うことを腹の底からぶちまけてやったことだろう。 そうしたら店主は驚いて机から落っこちてしまうにちがいなかったのだ! 机の上に腰かけて、高いところから店員と話をするというのも、奇妙なやりかただ。 おまけに店員のほうは、店主の耳が遠いときているので近くによっていかなければならないのだ。 まあ、希望はまだすっかり捨てられてしまったわけではない。 両親の借金をすっかり店主に払うだけの金を集めたら――まだ五、六年はかかるだろうが――きっとそれをやってみせる。 とはいっても、今のところはまず起きなければならない。
