断食芸人
原題:EIN HUNGERKUNSTLER
著者:フランツ・カフカ Franz Kafka
だんじきげいにん
文字数:10,964 底本発行年:1960
この何十年かのあいだに、断食芸人たちに対する関心はひどく下落してしまった。
以前には一本立てでこの種の大きな興行を催すことがいいもうけになったのだが、今ではそんなことは不可能だ。
あのころは時代がちがっていたのだ。
あのころには町全体が断食芸人に夢中になった。
断食日から断食日へと見物人の数は増えていった。
だれもが少なくとも日に一度は断食芸人を見ようとした。
興行の終りごろには予約の見物人たちがいて、何日ものあいだ小さな
入れ変わる見物人のほかに、観客たちに選ばれた常任の見張りがいて、これが奇妙にもたいていは肉屋で、いつでも三人が同時に見張る。 彼らの役目は、断食芸人が何か人に気づかれないようなやりかたで食べものをとるようなことのないように、昼も夜も彼を見守るということだった。 だが、それはただ大衆を安心させるために取り入れられた形式にすぎなかった。 というのは、事情に通じた人びとは、断食芸人はどんなことがあっても、いくら強制されても、断食期間にはけっしてほんの少しでもものを食べなかった、ということをよく知っていた。 この術の名誉がそういうことを禁じていたのだ。 むろん、見張りがみなそういうことを理解しているわけではなかった。 ときどきは見張りをひどくいい加減にやるようなグループがあった。 彼らはわざと離れた片隅に坐り、そこでトランプ遊びにふけるのだった。 それは、彼らの考えによれば断食芸人が何かひそかに同意してある品物から取り出すことができるはずのちょっとした飲食物をとるのを見逃がしてやっていい、というつもりらしかった。 こんな見張りたちほどに断食芸人に苦痛を与えるものはなかった。 この連中は彼を悲しませた。 断食をひどく困難にした。 ときどき彼は自分の衰弱をじっとこらえて、この連中がどんなに不当な嫌疑を自分にかけているのかということを示すため、こんな見張りがついているあいだじゅう、我慢できる限り歌を歌ってみせた。 しかし、それもほとんど役に立たなかった。 そうすると連中はただ、歌を歌っているあいだにもものが食べられるという器用さに感心するだけだった。 芸人にとっては、格子のすぐ前に坐り、ホールのぼんやりした夜間照明では満足しないで、興行主が自由に使うようにと渡した懐中電燈で自分を照らすような見張りたちのほうがずっと好ましかった。 そのまばゆい光は彼にはまったく平気だった。 眠ることはおよそできないが、少しばかりまどろむことは、どんな照明の下でも、どんな時間にでも、また超満員のさわがしいホールにおいてでも、できたのだ。 彼にとっては、こうした見張り番たちといっしょに一睡もしないで夜を過ごすことは好むところだった。 こうした連中と冗談を言い合ったり、自分の放浪生活のいろいろな話を物語ったり、つぎに今度はむこうの物語を聞いたりする用意があった。 そうしたことはすべて、ただ彼らを目ざませておき、自分が何一つ食べものを檻のなかにもってはいないということ、彼らのうちのだれだってできないほど自分が断食をつづけているということを、彼らにくり返し見せてやることができるからだった。 しかし、彼がいちばん幸福なのは、やがて朝がきて、彼のほうの費用もちで見張り番たちにたっぷり朝食が運ばれ、骨の折れる徹夜のあとの健康な男たちらしい食欲で彼らがその朝食にかぶりつくときだった。 この朝食を出すことのうちに見張り番たちに不当な影響を与える買収行為を見ようとする連中さえいることはいたが、しかしそんなことはゆきすぎだった。 そういう連中が、それならただ監視ということだけのために朝食なしで夜警の仕事を引き受けるつもりがあるかとたずねられれば、彼らも返事はためらうのだった。 それにもかかわらずこの連中からは嫌疑は去らなかった。
とはいえ、これは断食というものとおよそ切り離すことのできない嫌疑の一つではあった。 実際、だれも連日連夜たえず断食芸人のそばで見張りとして過ごすことはできなかった。