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審判

著者:フランツ・カフカ Franz Kafka

しんぱん

文字数:224,769 底本発行年:1971
著者リスト:
底本: 審判
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第一章 逮捕・グルゥバッハ夫人との
    対話・次にビュルストナー嬢

誰かがヨーゼフ・Kを誹謗ひぼうしたにちがいなかった。 なぜなら、何もわるいことをしなかったのに、ある朝、逮捕されたからである。 彼の部屋主グルゥバッハ夫人の料理女は、毎日、朝の八時ごろに朝食を運んでくるのだったが、この日に限ってやってはこなかった。 そういうことはこれまであったためしがなかった。 Kはなおしばらく待ち、まくらについたまま、向う側の家に住んでいる老婆がいつもとまったくちがった好奇の眼で自分を観察しているのをながめていたが、やがていぶかしくもあれば腹がすいてきもしたので、呼鈴を鳴らした。 すぐにノックの音が聞え、この家についぞ見かけたことのない一人の男がはいってきた。 すんなりとはしているが、頑丈がんじょう身体からだのつくりで、しっくりした黒服を着ていた。 その服は、旅行服に似ていて、たくさんのひだやポケットや留め金やボタンがつき、バンドもついており、そのため、何の用をするのかはっきりはわからぬが、格別実用的に見受けられた。

「どなたですか?」と、Kはききただし、すぐ半分ほどベッドに身を起した。

ところが男は、まるで自分の出現を文句なしに受入れろと言わんばかりに、彼の質問をやりすごし、逆にただこう言うのだった。

「ベルを鳴らしましたね?」

「アンナに朝食を持ってきてもらいたいのです」と、Kは言い、まず黙ったままで、いったいこの男が何者であるか、注意と熟考とによってはっきり見定めようと試みた。

ところがこの男はあまり長くは彼の視線を受けてはいないで、とびらのほうを向き、それを少しあけて、明らかに扉のすぐ背後に立っていた誰かに言った。

「アンナに朝食を持ってきてもらいたいのだそうだよ」

隣室でちょっとした笑い声が聞えたが、その響きからいって、数人の人々がそれに加わっているのかどうか、はっきりしなかった。 見知らぬ男はそれによってこれまで以上に何もわかったはずがなかったが、Kに対して通告するような調子で言った。

「だめだ」

「そりゃあ変だ」と、Kは言って、ベッドから飛びおり、急いでズボンをはいた。

「ともかく、隣の部屋にどんな人たちがいるのかを見て、グルゥバッハ夫人がこの私に対する邪魔の責任をどうとるのか知りたいのです」

こんなことをはっきり言うべきではなかったし、こんなことを言えば、いわばその男の監督権を認めたことになるということにすぐ気づきはしたが、それも今はたいしたこととは思われなかった。 見知らぬ男もずっとそう考えていたらしい。 男がこう言ったからである。

「ここにいたほうがよくはないですか?」

「いたくもありませんし、あなたが身分を明らかにしないうちは、あなたに口をきいていただきたくもないんです」

「好意でやったんですよ」と、見知らぬ男は言い、今度は進んで扉をあけた。

Kがはいろうと思ってゆっくり隣室へはいってゆくと、部屋はちょっと見たところ、前の晩とほとんどまったくちがったところがなかった。 それはグルゥバッハ夫人の住居で、おそらくこの家具や敷物や花瓶かびんや写真やでいっぱいの部屋は、今日はいつもよりいくらかゆとりがあった。 そのことはすぐには気づかなかったが、おもな変化は一人の男がいるという点にあっただけに、なおさらそうであった。 男は開いた窓のそばで一冊の本を読みながらすわっていたが、ふと本から眼を上げた。

「君は部屋にいなければいけなかったのだ! いったいフランツは君にそう言わなかったか?」

「で、どうしようというんです?」と、Kは言い、この新しく知った人物から眼を転じて、戸口のところに立ち止っているフランツと呼ばれる男のほうを見、次にまた視線をもどした。

開いた窓越しにまた例の老婆が見えたが、彼女はいかにも老人らしい好奇の眼で、今ちょうど、向い合った窓のところへ歩み寄って、その後の成行きを一部始終見届けようとしていた。

「グルゥバッハ夫人にちょっと――」と、Kは言い、彼から遠く離れて立っている二人の男から身を引離そうとするようなしぐさを見せて、歩みを進めようとした。

「いけない」と、窓ぎわの男が言い、本を小さな机の上に投げて、立ち上がった。 「行っちゃいけない。 君は逮捕されたんだぞ」

「どうもそうらしいですね」と、Kは言い、次にたずねた。 「ところで、いったいどうしてなんです?」

「君にそんなことを言うように言いつかっちゃいない。

第一章 逮捕・グルゥバッハ夫人との
    対話・次にビュルストナー嬢

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審判 - 情報

審判

しんぱん

文字数 224,769文字

著者リスト:

底本 審判

青空情報


底本:「審判」新潮文庫、新潮社
   1971(昭和46)年7月30日第1刷発行
   1990(平成2)年9月5日第37刷発行
※底本の二重山括弧は、ルビ記号と重複するため、学術記号の「≪」(非常に小さい、2-67)と「≫」(非常に大きい、2-68)に代えて入力しました。
※編集注にある「以下三三三ページ十六行まで」は、「この朝は、こうした希望が……まったく必要だった。」の段落をさします。
入力:kompass
校正:米田
2010年11月28日作成
2012年10月3日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:審判

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