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地球儀

著者:牧野信一

ちきゅうぎ - まきの しんいち

文字数:4,081 底本発行年:1968
著者リスト:
著者牧野 信一
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序章-章なし

祖父の十七年の法要があるから帰れ――という母からの手紙で、私は二タ月ぶりぐらいで小田原の家に帰った。

「このごろはどうなの?」

私は父のことを尋ねた。

「だんだん悪くなるばかり……」

母は押入を片付けながら言った。 続けて、そんな気分を振り棄てるように、

「こっちの家はほんとに狭くてこんな時にはまったく困ってしまう。 第一どこに何がしまってあるんだか少しも分らない」などとつぶやいていた。

「僕の事をおこっていますか?」

「カンカン!」

母は面倒くさそうに言った。

「ふふん!」

「これからもうお金なんて一文もやるんじゃないッて――私まで大変おこられた」

「チェッ!」と私はセセラ笑った。 きっとそうくるだろうとは思っていたものの、明らかに言われてみるとドキッとした。 セセラ笑ってみたところで、私自身も母も、私自身の無能とカラ元気とをかえってみにくく感ずるばかりだ。

「もうお父さんの事はあてにならないよ。 あの年になってのことだもの……」

これは父の放蕩ほうとうを意味するのだった。

「勝手にするがいいさ」

私はおこったような口調でつぶやくと、いかにも腹には確然としたある自信があるような顔をした。 こんなものの言い方やこんな態度は、私がこのごろになって初めて発見した母に対する一種のコケトリイだった。 だが、私が用うのはいつもこの手段のほかはなく、そうしてその場限りで何の効もないので、今ではもう母の方で、もう聞ききたよという顔をするのだった。

「もう家もおしまいだ。 私は覚悟している」と母は言った。

私は、母が言うこの種の言葉はすべて母が感情に走って言うのだ、という風にばかりことさらに解釈しようと努めた。

「だけど、まアどうにかなるでしょうね」

私は何の意味もなく、ただ自分を慰めるように易々いいと見せかけた。 こんな私の楽天的な態度にもすっかり母は愛想を尽かしていた。

母は、ちょっと笑いを浮べたまま黙って、煙草盆たばこぼんを箱から出しては一つ一ついていた。

私も、話だけでも、父の事に触れるのは厭になった。

「明日は叔父さんたちも皆な来るでしょう」

「皆な来ると言って寄こした」

また父の事が口に出そうになった。

躑躅つつじがよく咲いてる」と私は言った。

「お前でも花などに気がつくことがあるの」

「そりゃ、ありますとも」と私は笑った。 母も笑った。

「ただでさえ狭いのにこれ邪魔でしようがない。

序章-章なし
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地球儀 - 情報

地球儀

ちきゅうぎ

文字数 4,081文字

著者リスト:
著者牧野 信一

底本 日本文学全集37 牧野信一・梶井基二郎集

青空情報


底本:「日本文学全集37 牧野信一・梶井基二郎集」集英社
   1968(昭和43)年8月12日初版発行
   1970(昭和45)年1月5日2版
初出:「文藝春秋 第一巻第七号(七月創作附録号)」文藝春秋社
   1923(大正12)年7月1日発行
入力:岡本ゆみ子
校正:noriko saito
2009年9月10日作成
2013年1月20日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:地球儀

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