• URLをコピーしました!

俳人蕪村

著者:正岡子規

はいじんぶそん - まさおか しき

文字数:26,595 底本発行年:1967
著者リスト:
著者正岡 子規
0
0
0


緒言

芭蕉ばしょう新たに俳句界を開きしよりここに二百年、その間づるところの俳人少からず。 あるいは芭蕉を祖述し、あるいは檀林だんりんを主張し、あるいは別に門戸を開く。 しかれどもその芭蕉を尊崇するに至りては衆口一斉にづるがごとく、檀林等流派を異にする者もなお芭蕉を排斥せず、かえって芭蕉の句を取りて自家俳句集中に加うるを見る。 ここにおいてか芭蕉は無比無類の俳人として認められ、また一人のこれに匹敵する者あるを見ざるの有様なりき。 芭蕉は実に敵手なきか。 いわく、いな

芭蕉が創造の功は俳諧史上特筆すべきものたること論をたず。 この点において何人なんぴとかよくこれに凌駕りょうがせん。 芭蕉の俳句は変化多きところにおいて、雄渾ゆうこんなるところにおいて、高雅なるところにおいて、俳句界中第一流の人たるを得。 この俳句はその創業の功より得たる名誉を加えて無上の賞讃を博したれども、余より見ればその賞讃は俳句の価値に対して過分の賞讃たるを認めざるを得ず。 誦するにもえぬ芭蕉の俳句を註釈して勿体もったいつける俳人あれば、縁もゆかりもなき句を刻して芭蕉塚ととなえこれを尊ぶ俗人もありて、芭蕉という名は徹頭徹尾尊敬の意味を表したる中に、咳唾がいだたまを成し句々吟誦するに堪えながら、世人はこれを知らず、宗匠はこれを尊ばず、百年間空しく瓦礫がれきとともに埋められて光彩を放つを得ざりし者を蕪村ぶそんとす。 蕪村の俳句は芭蕉に匹敵すべく、あるいはこれに凌駕するところありて、かえって名誉を得ざりしものは主としてその句の平民的ならざりしと、蕪村以後の俳人のことごとく無学無識なるとにれり。 著作の価値に対する相当の報酬なきは蕪村のために悲しむべきに似たりといえども、無学無識の徒に知られざりしはむしろ蕪村の喜びしところなるべきか。 その放縦不羈ほうしょうふき世俗の外に卓立せしところを見るに、蕪村また性行において尊尚すべきものあり。 しかして世はこれをれざるなり。

蕪村の名は一般に知られざりしにあらず、されど一般に知られたるは俳人としての蕪村にあらず、画家としての蕪村なり。 蕪村歿後ぼつごに出版せられたる書を見るに、蕪村画名の生前において世に伝わらざりしは俳名の高かりしがために圧せられたるならんと言えり。 これによれば彼が生存せし間は俳名の画名を圧したらんかとも思わるれど、その歿後今日に至るまでは画名かえって俳名を圧したること疑うべからざる事実なり。 余らの俳句を学ぶや類題集中蕪村の句の散在せるを見てややその非凡なるを認めこれを尊敬すること深し。 ある時小集の席上にて鳴雪めいせつ氏いう、蕪村集を得来たりし者には賞を与えんと。 これもと一場の戯言なりとはいえども、この戯言はこれを欲するの念せつなるより出でしものにして、その裏面にはあながちに戯言ならざるものありき。 はたしてこの戯言は同氏をして蕪村句集を得せしめ、余らまたこれを借りて大いに発明するところありたり。 死馬の骨を五百金に買いたるたとえも思い出されておかしかりき。 これ実に数年前(明治二十六年か)のことなり。 しかしてこの談一たび世に伝わるや、俳人としての蕪村は多少の名誉をもって迎えられ、余らまた蕪村派ともくせらるるに至れり。 今は俳名再び画名を圧せんとす。

かくして百年以後にはじめて名を得たる蕪村はその俳句において全く誤認せられたり。 多くの人は蕪村が漢語を用うるをもってその唯一の特色となし、しかもその唯一の特色が何故なにゆえに尊ぶべきかを知らず、いわんや漢語以外に幾多の特色あることを知る者ほとんどこれなきに至りては、彼らが蕪村を尊ぶゆえんを解するに苦しむなり。 余はここにおいて卑見を述べ、蕪村が芭蕉に匹敵するところのはたしていずくにあるかを弁ぜんと欲す。

積極的美

美に積極的と消極的とあり。 積極的美とはその意匠の壮大、雄渾、勁健けいけん、艶麗、活溌かっぱつ、奇警なるものをいい、消極的美とはその意匠の古雅、幽玄、悲惨、沈静、平易なるものをいう。 概して言えば東洋の美術文学は消極的美に傾き、西洋の美術文学は積極的美に傾く。 もし時代をもって言えば国の東西を問わず、上世には消極的美多く後世には積極的美多し。 (ただし壮大雄渾なるものに至りてはかえって上世に多きを見る)されば唐時代の文学より悟入したる芭蕉は俳句の上に消極の意匠を用うること多く、従って後世芭蕉派と称する者また多くこれにならう。 そのさびといい、雅といい、幽玄といい、細みといい、もって美の極となすもの、ことごとく消極的ならざるはなし。 (ただし壮大雄渾の句は芭蕉これあれども後世に至りては絶えてなし)ゆえに俳句を学ぶ者消極的美を唯一の美としてこれをとうとび、艶麗なるもの、活溌なるもの、奇警なるものを見ればすなわちもって邪道となし卑俗となす。 あたかも東洋の美術に心酔する者が西洋の美術をもってことごとく野卑なりとしてへんするがごとし。 艶麗、活溌、奇警なるものの野卑に陥りやすきはもとよりしかり。

緒言

━ おわり ━  小説TOPに戻る
0
0
0
読み込み中...
ブックマーク系
サイトメニュー
シェア・ブックマーク
シェア

俳人蕪村 - 情報

俳人蕪村

はいじんぶそん

文字数 26,595文字

著者リスト:
著者正岡 子規

底本 日本の文学 15 石川啄木・正岡子規・高浜虚子

青空情報


底本:「日本の文学 15」中央公論社
   1967(昭和42)年6月5日初版発行
   1973(昭和48)年7月30日10版発行
入力:蒋龍
校正:米田
2010年12月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:俳人蕪村

小説内ジャンプ
コントロール
設定
しおり
おすすめ書式
ページ送り
改行
文字サイズ

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!