序章-章なし
一
また正月が来た。
振り返ると過去が丸で夢のやうに見える。
何時の間に斯う年齢を取つたものか不思議な位である。
此感じをもう少し強めると、過去は夢としてさへ存在しなくなる。
全くの無になつてしまふ。
実際近頃の私は時々たゞの無として自分の過去を観ずる事がしば/\ある。
いつぞや上野へ展覧会を見に行つた時、公園の森の下を歩きながら、自分は或目的をもつて先刻から足を運ばせてゐるにも拘はらず、未だ曾て一寸も動いてゐないのだと考へたりした。
是は耄碌の結果ではない。
宅を出て、電車に乗つて、山下で降りて、それから靴で大地の上をしかと踏んだといふ記憶を慥かに有つた上の感じなのである。
自分は其時終日行いて未だ曾て行かずといふ句が何処かにあるやうな気がした。
さうして其句の意味は斯ういふ心持を表現したものではなからうかとさへ思つた。
これをもつと六づかしい哲学的な言葉で云ふと、畢竟ずるに過去は一の仮象に過ぎないといふ事にもなる。
金剛経にある過去心は不可得なりといふ意義にも通ずるかも知れない。
さうして当来の念々は悉く刹那の現在からすぐ過去に流れ込むものであるから、又瞬刻の現在から何等の段落なしに未来を生み出すものであるから、過去に就て云ひ得べき事は現在に就ても言ひ得べき道理であり、また未来に就いても下し得べき理窟であるとすると、一生は終に夢よりも不確実なものになつてしまはなければならない。
斯ういふ見地から我といふものを解釈したら、いくら正月が来ても、自分は決して年齢を取る筈がないのである。
年齢を取るやうに見えるのは、全く暦と鏡の仕業で、其暦も鏡も実は無に等しいのである。
驚くべき事は、これと同時に、現在の我が天地を蔽ひ尽して儼存してゐるといふ確実な事実である。
一挙手一投足の末に至る迄此「我」が認識しつゝ絶えず過去へ繰越してゐるといふ動かしがたい真境である。
だから其処に眼を付けて自分の後を振り返ると、過去は夢所ではない。
炳乎として明らかに刻下の我を照しつゝある探照燈のやうなものである。
従つて正月が来るたびに、自分は矢張り世間並に年齢を取つて老い朽ちて行かなければならなくなる。
生活に対する此二つの見方が、同時にしかも矛盾なしに両存して、普通にいふ所の論理を超越してゐる異様な現象に就いて、自分は今何も説明する積はない。
又解剖する手腕も有たない。
たゞ年頭に際して、自分は此一体二様の見解を抱いて、わが全生活を、大正五年の潮流に任せる覚悟をした迄である。
若し無に即して云へば、自分は今度の春を迎へる必要も何もない。
否明治の始めから生れないのと同じやうなものである。
然し有になづんで云へば、多病な身体が又一年生き延びるにつれて、自分の為すべき事はそれ丈量に於て増すのみならず、質に於ても幾分か改良されないとも限らない。
従つて天が自分に又一年の寿命を借して呉れた事は、平常から時間の欠乏を感じてゐる自分に取つては、何の位の幸福になるか分らない。
自分は出来る丈余命のあらん限りを最善に利用したいと心掛けてゐる。
趙州和尚といふ有名な唐の坊さんは、趙州古仏晩年発心と人に云はれた丈あつて、六十一になつてから初めて道に志した奇特な心懸の人である。
七歳の童児なりとも、我に勝るものには我れ即ち彼に問はん、百歳の老翁なりとも我に及ばざる者には我れ即ち侘を教へんと云つて、南泉といふ禅坊さんの所へ行つて二十年間倦まずに修業を継続したのだから、卒業した時にはもう八十になつてしまつたのである。
夫から趙州の観音院に移つて、始めて人を得度し出した。
さうして百二十の高齢に至る迄化導を専らにした。
寿命は自分の極めるものでないから、固より予測は出来ない。
自分は多病だけれども、趙州の初発心の時よりもまだ十年も若い。
たとひ百二十迄生きないにしても、力の続く間、努力すればまだ少しは何か出来る様に思ふ。
それで私は天寿の許す限り趙州の顰にならつて奮励する心組でゐる。
古仏と云はれた人の真似も長命も、無論自分の分でないかも知れないけれども、羸弱なら羸弱なりに、現にわが眼前に開展する月日に対して、あらゆる意味に於ての感謝の意を致して、自己の天分の有り丈を尽さうと思ふのである。