津浪と人間
著者:寺田寅彦
つなみとにんげん - てらだ とらひこ
文字数:4,349 底本発行年:1985
昭和八年三月三日の早朝に、東北日本の太平洋岸に津浪が襲来して、沿岸の小都市村落を片端から
同じような現象は、歴史に残っているだけでも、過去において何遍となく繰返されている。 歴史に記録されていないものがおそらくそれ以上に多数にあったであろうと思われる。 現在の地震学上から判断される限り、同じ事は未来においても何度となく繰返されるであろうということである。
こんなに度々繰返される自然現象ならば、当該地方の住民は、とうの昔に何かしら相当な対策を考えてこれに備え、災害を未然に防ぐことが出来ていてもよさそうに思われる。 これは、この際誰しもそう思うことであろうが、それが実際はなかなかそうならないというのがこの人間界の人間的自然現象であるように見える。
学者の立場からは通例次のように云われるらしい。 「この地方に数年あるいは数十年ごとに津浪の起るのは既定の事実である。 それだのにこれに備うる事もせず、また強い地震の後には津浪の来る恐れがあるというくらいの見やすい道理もわきまえずに、うかうかしているというのはそもそも不用意千万なことである。」
しかしまた、
すると、学者の方では「それはもう十年も二十年も前にとうに警告を与えてあるのに、それに注意しないからいけない」という。 するとまた、罹災民は「二十年も前のことなどこのせち辛い世の中でとても覚えてはいられない」という。 これはどちらの云い分にも道理がある。 つまり、これが人間界の「現象」なのである。
災害直後時を移さず政府各方面の官吏、各新聞記者、各方面の学者が駆付けて詳細な調査をする。 そうして周到な津浪災害予防案が考究され、発表され、その実行が奨励されるであろう。
さて、それから更に三十七年経ったとする。 その時には、今度の津浪を調べた役人、学者、新聞記者は大抵もう故人となっているか、さもなくとも世間からは隠退している。 そうして、今回の津浪の時に働き盛り分別盛りであった当該地方の人々も同様である。 そうして災害当時まだ物心のつくか付かぬであった人達が、その今から三十七年後の地方の中堅人士となっているのである。 三十七年と云えば大して長くも聞こえないが、日数にすれば一万三千五百五日である。 その間に朝日夕日は一万三千五百五回ずつ平和な浜辺の平均水準線に近い波打際を照らすのである。 津浪に懲りて、はじめは高い処だけに住居を移していても、五年たち、十年たち、十五年二十年とたつ間には、やはりいつともなく低い処を求めて人口は移って行くであろう。 そうして運命の一万数千日の終りの日が忍びやかに近づくのである。 鉄砲の音に驚いて立った海猫が、いつの間にかまた寄って来るのと本質的の区別はないのである。
これが、二年、三年、あるいは五年に一回はきっと十数メートルの高波が襲って来るのであったら、津浪はもう天変でも地異でもなくなるであろう。
風雪というものを知らない国があったとする、年中気温が摂氏二十五度を下がる事がなかったとする。
それがおおよそ百年に一遍くらいちょっとした
夜というものが二十四時間ごとに繰返されるからよいが、約五十年に一度、しかも不定期に突然に夜が廻り合せてくるのであったら、その時に如何なる事柄が起るであろうか。 おそらく名状の出来ない混乱が生じるであろう。 そうしてやはり人命財産の著しい損失が起らないとは限らない。
さて、個人が頼りにならないとすれば、政府の法令によって永久的の対策を設けることは出来ないものかと考えてみる。 ところが、国は永続しても政府の役人は百年の後には必ず入れ代わっている。