我が生活
著者:中原中也
わがせいかつ - なかはら ちゅうや
文字数:4,511 底本発行年:1967
私はほんとに馬鹿だつたのかもしれない。
私の女を私から奪略した男の所へ、女が行くといふ日、実は私もその日家を変へたのだが、自分の荷物だけ運送屋に渡してしまふと、女の荷物の片附けを手助けしてやり、おまけに車に載せがたいワレ物の女一人で持ちきれない分を、私の敵の男が借りて待つてゐる
私は恰度、その女に退屈してゐた時ではあつたし、といふよりもその女は男に何の夢想も仕事もさせないたちの女なので、大変困惑してゐた時なので、私は女が去つて行くのを内心喜びともしたのだつたが、いよいよ去ると決つた日以来、もう猛烈に悲しくなつた。
もう十一月も終り頃だつたが、私が女の新しき
それから私は何を云つたかよくは覚えてゐないが、兎も角新しき男に皮肉めいたことを喋舌つたことを覚えてゐる。 すると女が私に目配せするのであつた、まるでまだ私の女であるかのやうに。 すると私はムラムラするのだつた、何故といつて、――それではどうして、私を棄てる必要があつたのだ?
私はさよならを云つて、冷えた靴を穿いた。 まだ移つて来たばかしの家なので、玄関には電球がなかつた。 私はその暗い玄関で、靴を穿いたのを覚えてゐる。 次の間の光を肩にうけて、女だけが、私を見送りに出てゐた。
靴を穿き終ると私は黙つて硝子張の格子戸を開た。 空に、冴え冴えとした月と雲とが見えた。 慌ててゐたので少ししか開かなかつた格子戸を、からだを横にして出る時に、女の顔が見えた。 と、その時、私はさも悪漢らしい微笑をつくつてみせたことを思ひ出す。
――俺は、棄てられたのだ! 郊外の道が、シツトリ夜露に湿つてゐた。
郊外電車の
停車場はそれから近くだつたのだが、とても直ぐ電車になぞ乗る気にはなれなかつたので、ともかく私は次の駅まで、開墾されたばかりの、野の中の道を歩くことにした。 ――――――――――
新しい、私の下宿に着いたのは、零時半だつた。 二階に上ると、荷物が来てゐた。 蒲団だけは今晩荷を解かなければならないと思ふことが、異常な落胆を呼び起すのであつた。 そのホソビキのあの脳に昇る匂ひを、覚えてゐる。
直ぐは蒲団の上に仰向きになれなくて、暫くは枕に
さて
気の弱さ――これのある人間はいつたい善良だ。 そして気の弱さは、気の弱い人が人を気にしない間、善良をだけつくるのだが、人を気にしだすや、それは彼自身の生活を失はせる、いとも困つた役をしはじめる。 つまり彼は、だんだん、社交家であるのみの社交家に陥れられてゆくのだ。 恰度それは、未だあまり外界に触れたことのない、動揺を感じたことのない赤ン坊が、あまりに揺られたり驚かされたりした場合に、むしを起す過程と同様である。 そして近代人といふのは、多いか少いかこのむしなのではないか? 殊に急劇に物質文明を輸入した日本に於てさうではないか?
近代にあつて、このむしの状態に陥らないためには、人は鈍感であるか又、非常に所謂「常に目覚めてあれ」の行へる人、つまりつねに前方を