ファラデーの伝 電気学の泰斗
著者:愛知敬一
ファラデーのでん - あいち けいいち
文字数:75,755 底本発行年:1923
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序
偉人の伝記というと、ナポレオンとかアレキサンドロスとか、グラッドストーンというようなのばかりで、学者のはほとんど無いと言ってよい。 なるほどナポレオンやアレキサンドロスのは、雄であり、壮である。 しかし、いつの世にでもナポレオンが出たり、アレキサンドロスの出ずることは出来ない。 文化の進まざる時代の物語りとして読むには適していても、修養の料にはならない。 グラッドストーンのごときといえども、一国について見れば二、三人あり得るのみで、しかも大宰相たるは一時に一人のみしか存在を許さない。 これに反して、科学者や哲学者や芸術家や宗教家は、一時代に十人でも二十人でも存在するを得、また多く存在するほど文化は進む。 ことに科学においては、言葉を用うること少なきため、他に比して著しく世界的に共通で、日本での発見はそのまま世界の発見であり、詩や歌のごとく、外国語に訳するの要もない。
これらの理由により、科学者たらんとする者のために、大科学者の伝記があって欲しい。 しかし、科学者の伝記を書くということは、随分むずかしい。 というのは、まず科学そのものを味った人であることが必要であると同時に多少文才のあることを要する。 悲しいかな、著者は自ら顧みて、決してこの二つの条件を備えておるとは思わない。 ただ最初の試みをするのみである。
科学者の中で、特にファラデーを選んだ理由は、第一に彼は大学教育を受けなかった人で、全くの丁稚小僧から成り上ったのだ。 学界にでは家柄とか情実とかいうものの力によることがない、腕一本でやれるということが明かになると思う。 また立身伝ともいえる。 次に彼の製本した本も、筆記した手帳も、実験室での日記も、発見の時に用いた機械も、それから少し変ってはいるが、実験室も今日そのまま残っている。 シェーキスピアやカーライルの家は残っている。 ゲーテ、シルレルの家もあり、死んだ床も、薬を飲んだ杯までもある(真偽は知らないが)。 ファラデーのも、これに比較できる位のものはある。 科学者でファラデーほど遺物のあるのは、他に無いと言ってよい。 それゆえ、伝記を書くにも精密に書ける。 諸君がロンドンに行かるる機会があったら、これらの遺物を実際に見らるることも出来る。
第三に、何にか発見でもすると、その道行きは止めにして、出来上っただけを発表する人が多い。
感服に値いしないことはないが、これでは、後学者が発見に至るまでの着想や推理や実験の順序方法について、貴ぶべき示唆を受けることは出来ない。
あたかも雲に
ファラデーの論文には、いかに考え、いかに実験して、それでは結果が出なくて、しまいにかくやって発見した、というのが、偽らずに全部書いてある。 これでこそ発見の手本にもなる。
またファラデーの伝記は決して無味乾燥ではない。
電磁気廻転を発見して、踊り喜び、義弟をつれて曲馬見物に行き、入口の所でこみ合って喧嘩をやりかけた壮年の元気は中々さかんである。
莫大の内職をすて、[#「莫大の内職をすて、」は底本では「莫大の内職をすて、」]宴会はもとより学会にも出ないで、専心研究に従事した時代は感嘆するの外はない、晩年に感覚も鈍り、ぼんやりと
前編に大体の伝記を述べて、後編に研究の
大正十二年一月著者識す。
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[#ページの左右中央]
前編 生涯
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ファラデーの伝 - 情報
青空情報
底本:「ファラデーの傳」岩波書店
1923(大正12)年5月15日第1版発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
その際、以下の置き換えをおこないました。
「佛蘭西→フランス 伊太利→イタリア 伊→イタリア 伊国→イタリア 瑞西→スイス 佛国→フランス 希臘→ギリシャ 獨→ドイツ 獨逸→ドイツ 獨国→ドイツ 佛→フランス 瑞→スイス 墺→オーストリア 巴里→パリ 羅馬→ローマ 土耳古→トルコ 白耳義→ベルギー 亜米利加→アメリカ 墺地利→オーストリア 瑞典→スウェーデン 英→イギリス 埃及→エジプト 瓦斯→ガス 硝子→ガラス 土蛍→ミミズ 沃素→ヨウ素 金剛石→ダイヤモンド 志→シリング シルリング→シリング 磅→ポンド 基督→キリスト 蝋燭→ロウソク 蒼鉛→ビスマス 護謨→ゴム 鍍金→メッキ 吋→インチ 呎→フィート 弗素→フッ素 暫く→しばらく 殆ど→ほとんど 或る→ある 成るほど→なるほど 何時→いつ 如き→ごとき 雖も→いえども 又→また 殊→こと 先ず→まず これ等→これら 委しく→くわしく 迄も→までも それ故→それゆえ 是等→これら 宛も→あたかも 於て→おいて 如何に→いかに 終い→しまい 斯く→かく 此の→この 為す→なす 僅か→わずか 貰→もら 其→その 澤山→たくさん 只→ただ 兎に角→とにかく 啻→ただ 極く→ごく 未だ→まだ 夫故→それゆえ 及び→および 併し→しかし 最う→もう 且つ→かつ 斯様→かよう 即ち→すなわち 却って→かえって 之れ→これ 俤→おもかげ 勿論→もちろん 可なり→かなり 頤→あご 篏め→はめ 一寸→ちょっと 抑→そもそも 然し→しかし 幾分→いくぶん 何れ→いずれ 最早→もはや 若し→もし 遂に→ついに 直ぐ→すぐ 尤も→もっとも 益々→ますます 已に→すでに 依る→よる 之れ→これ 大抵→たいてい 更に→さらに 儘→まま 筈→はず 不図→ふと 唯→ただ 撓む→たわむ 成程→なるほど 折角→せっかく 皆→みな 以て→もって 此處、此所→ここ 有難う→ありがとう お休み→おやすみ 殊更→ことさら 亦→また 乃至→ないし 了つた→おわった 復た→また 復び→ふたたび 流石→さすが 所謂→いわゆる 寧ろ→むしろ 然る→しかる 重な→おもな 斯かる→かかる 則ち→すなわち 此度→このたび 尚ほ→なお 云う、云える、云い、云った、云われて→いう、いえる、いい、いった、いわれて 居った、居る→おった、いる」
また読みにくい漢字には適宜、底本にはないルビを付けました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※大中小の見出しを用いて全体の構造を示すために、後編冒頭の「研究の三期」は、注記対象から外しました。
※底本の目次にならって、「ルムフォード伯」「サー・ハンフリー・デビー」「トーマス・ヤング」の上位に、「附記」という中見出しを立てました。
入力:松本吉彦、松本庄八
校正:小林繁雄
2006年11月20日作成
2015年4月5日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
青空文庫:ファラデーの伝