教育の目的
著者:新渡戸稻造
きょういくのもくてき - にとべ いなぞう
文字数:20,134 底本発行年:1975
今日世界各國の人の學問の目的とする所には種々あるが、普通一般最も廣く世界に行はれて居る目的は、各自の職業に能く上達するにある。 マア職業教育とでも言はうか。 或はモウ一層狹く云ふと、實業教育と云ふのが、能く其の趣意を貫いて居るやうである。 子弟を教育する其の目的は、先づ十中の七八迄職業を求むるに在る。 殊に日本に於いては職業を得る爲に教育を受くる者が多い、百中の九十九まではさうかと思はれる。 昔はどうであつたか知らぬが、近頃は各國共に此の目的を以て、教育の大目的として居るやうである、殊に獨逸などでは、最もさう云ふ風である。
近來亞米利加の教育法はどうであるか。 亞米利加は何の爲に大いに普通教育を盛んにして居るかと云ふと、即ち良國民を拵へることが其目的である、能く國法を遵奉する國民を造るのである。 大工左官をさせたならば獨逸人に負けるかも知れぬ。 大根を作り、薯を作らしたならば、愛蘭の百姓に及ばぬかも知れぬが、先づ國家の組織或は公益と云ふことを知り、大統領を選ぶ時きにも、村長を選ぶ時にも、必ず不正不潔な行爲をしてはならぬ、國家の爲、一地方の爲だと云ふ大きな考を以て、投票する樣な國民を養成したいと云ふのである。 彼の料理屋で御馳走になつた御禮に投票するのとは、少し違ふやうだ。 佛蘭西人は少しく米國人と異つてゐる。 同じ共和國ではあるかなれども、國民が投票する時に、亞米利加ほど合理的にすることは餘り聞かない。 佛蘭西人は何の爲に子弟に教育を施すかと云ふと、先づお役人にしたい、月給取にしたいと云ふのである。 十歳から二十歳まで教育すると、毎月幾許の金を要する。 合計十ヶ年間に幾千法の金がいる。 之れだけの金を銀行に預けて置けば、年五朱として何程の利殖になる。 けれども都合好く卒業をして、文官試驗にでも及第すれば、何程の俸給が取れる。 或は何々教師の免状を取れば、此くらゐの月給に有り付くと云ふので、先づ算盤をせゝくつて、計算した上で教育する。 之は職業を求むる爲なのである。 否職業を求むると云ふよりも、位地を求むる爲なのである。
之に類して獨逸の教育法も、職業教育とか實業教育とかを主とするのである。 獨逸語のヴイルトシヤフトリツヘ、アインハイト(Wirtschaftliche Einheit[#「Wirtschaftliche Einheit」は底本では「Wirthschaftliche Einheit」])、英語のエコノミツク、ユニツト(Economic Unit)、即ち『經濟上の單位』を能く有効にしやうと云ふのが目的である。 即ち一國一市をして、成るたけ生産的に發達せしむるには、どうしたら宜いか、如何にせば最も國家經濟の爲めになるかと、經濟から割出した議論を立てゝ來ると、所謂社會經濟とか國家經濟とか云つて、國の生産を興さねばならぬと云ふことになる。 殖産を盛んにしたならば、即ち其國其市の發達が一番に能く出來る、それが爲には、先づ經濟的の單位として子弟の教育をするに歸着する。 一寸佛蘭西に似て居るやうではあるけれども、獨逸のは子弟を職業に進めるのであり、佛蘭西のは其實位地を求めさす爲である。 教師になりたい、役人に成りたいと、位地をチヤンと狙つてやつて居る。 斯樣々々の位地を得たい、それには是れだけの學問が要る。 即ち是れだけの準備をする爲に何程の金を要すると云つて、チヤンと算盤を彈いてやるから、之は仕事を求むるのでは無い、位地を求むるのである。 能く考へて見ると、之は獨り佛蘭西ばかりで無い、世界各國とも、皆さう云ふ傾向になつて居るであらうが、就中佛蘭西が最も著しいのである。
之を日本の例に取ると、少しく政治論のやうだが、例へば農學をやる、何故農學をやるかと云ふと、おれは日本の農業を改良したいからだと言ふであらう。 されど日本の農業を改良するに就いては、種々の方法があるので、悉く自分一人でやらなくても宜い、それは到底出來ることでない。 各個分業で農業の方法を漸次改良すれば宜いのである。 けれども一つ間違ふと日本の農業を改良するには、どうしても農商務大臣にでも成らねばならぬ、さう云ふ地位に達し無ければ仕事が出來ないやうに思ふ人もある。 然るに明治十四年に農商務省が出來てより今日に至る迄、農商務大臣が幾人變つて居るか知れぬ。 其お方々が日本の農業改良の爲に、どれだけの事を盡されたかと云ふと、何だか知らぬが、僕の眼には餘り大きく見えない。 山高きが故に貴からず、木あるを以て貴とし、位あるが爲に貴からず、人格あるが故に貴しとす。 位地と人格との差は大なるものである。 日本の教育に於いては普通佛蘭西風に、皆おれは何う云ふ地位を得たい、銀行の頭取に成りたい、會社の重役に成りたい、或は役人に成りたい、而も高等文官に成りたいと云つて、初から其の位地を狙つて居る。
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教育の目的 - 情報
青空情報
底本:「明治文學全集 88 明治宗教文學集(二)」筑摩書房
1975(昭和50)年7月30日初版第1刷発行
1983(昭和58)年10月1日初版第2刷発行
底本の親本:「隨想録」丁未出版社
907(明治40)年8月15日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「盖し」と「蓋し」、「挽く」と「曳く」の混在は、底本通りです。
入力:kamille
校正:染川隆俊
2007年1月6日作成
2016年1月18日修正
青空文庫作成ファイル:
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