暗号舞踏人の謎
原題:THE ADVENTURE OF THE DANCING MEN
著者:コナン・ドイル
あんごうぶとうじんのなぞ
文字数:26,049 底本発行年:1929
ホームズは全く黙りこんだまま、その脊の高い痩せた身体を猫脊にして、何時間も化学実験室に向っていた。
そこからは頻りに、いやな悪臭がただよって来る、――彼の頭は胸に深くちぢこめられて、その恰好は、鈍い灰色の羽毛の、黒い
「そこで、ワトソン君、――」
彼は突然に口を開いた。
「君は南アフリカのある投資事業に、投資することは、思い止まってしまったのだね」
私はサッと驚かされてしまった。 私は彼の不思議な直覚力と云ったようなものには、毎度のことでよく慣れていたが、しかしこの私の胸中の、秘中の秘事にずばりっと図星を指されたのには、全くあきれ返ってしまった。
「一たい君は、どうしてその事を知っていたのだね?」
私は訊き返した。
「さあワトソン君、ぐうの音が出まいがね」
「いや、全くその通りだ」
「それではね君、とにかくきれいに参ったと云う
「それはまたどうしてさ?」
「いや、実はもう五分の後には、君はきっと、それは馬鹿馬鹿しくわかり切ったことだと云うに相違ないからだよ」
「いやいや、僕は決して、そんなことは云わないよ」
「ワトソン君、それでは御説明に及ぶとしようかね」
ホームズは試験管を架にかけて、教授が講堂で、学生たちに講義でもする時のような恰好で話し出した。
「先人の研究材料を基本として、それを単純化して、推論の系統を立てると云うことは、決してそう難しいことでもないのだ。
そしてもしこう云う
「どうも僕には何の事か解らないね」
「いや誠に御もっとも至極――しかしこれはごく手短に説明することが出来るんだ。
ここにそれぞれ取り外れていた、鎖の輪があるからね。
第一には、君が昨夜
「ははははははは、何と云う馬鹿馬鹿しく解り切ったことだ!」
私は叫んだ。
「全くその通りさ」
彼はちょっと不気嫌になって云った。
「どんな問題でも、一通りわかってしまうと君には皆小供だましのように解り切ったものになってしまうのだ。 ではここに未解決の問題があるが、ワトソン君、これには君はどう云う解釈を与えるね?」
彼は一枚の紙を机の上に放り出して、また化学の分析の方に向き直った。
私はそれを見て驚いてしまった。 それは、何かの符牒の文字のようなものであった。
「何んだ、――これは小供の絵ではないか――ホームズ君!」
私は叫んだ。
「ははははははは、そんなものに見えるのかね!」
「じゃ何なんだね?」
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暗号舞踏人の謎 - 情報
青空情報
底本:「世界探偵小説全集 第四卷 シヤーロツク・ホームズの歸還」平凡社
1929(昭和4)年10月5日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
その際、以下の置き換えをおこないました。
「貴方→あなた 汎ゆる→あらゆる 或る→ある 或→あるい 如何→いか 聊か→いささか 何時→いつ 一層→いっそう 愈→いよいよ 何れ→いずれ 於て→おいて 却って→かえって 可成り→かなり かも知れ→かもしれ 屹度→きっと 位→くらい 極く→ごく 此→この 併し→しかし 而も→しかも 直・直き→じき 暫く→しばらく 直ぐ→すぐ 即ち→すなわち 凡て→すべて 是非→ぜひ 其処→そこ 其の→その 沢山→たくさん 唯→ただ 度々→たびたび 多分→たぶん 丁度・恰度→ちょうど 一寸→ちょっと (て)居→い・お (て)置→お (て)見→み (て)貰→もら 何処→どこ 何方→どちら 仲々→なかなか 何故→なぜ 成る程→なるほど 計り・許り→ばかり 筈→はず 甚だ→はなはだ 不図→ふと 程→ほど 殆んど→ほとんど 略々→ほぼ 先ず→まず 亦→また 間もなく→まもなく 見す見す→みすみす 若し→もし 勿論→もちろん 以って→もって 尤も→もっとも 矢庭に→やにわに 矢張り→やはり 漸く→ようやく 宜しい→よろしい 妾→わたし」
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※底本は総ルビですが、一部を省きました。
※底本中、混在している「マーティン」「マーチン」「マーテン」は、そのままにしました。
※原作品では、図版のミスにより暗号の解読が困難なものになっています。この底本はその誤りを「図4」「図7」において踏襲しておりますが、原作および底本を尊重し、そのままにしました。
入力:京都大学電子テクスト研究会入力班(前田一貴)
校正:京都大学電子テクスト研究会校正班(大久保ゆう)
2005年6月20日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
青空文庫:暗号舞踏人の謎