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闇桜

著者:樋口一葉

やみざくら - ひぐち いちよう

文字数:4,318 底本発行年:2001
著者リスト:
著者樋口 一葉
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序章-章なし

(上)

へだては中垣なかがき建仁寺けんにんじにゆづりてくみかはす庭井にはゐみづまじはりのそこきよくふか軒端のきば梅一木うめひとき両家りやうけはるせてかほりもわか中村なかむら園田そのだ宿やどあり園田そのだ主人あるじ一昨年をとゞしなくなりて相続さうぞく良之助りやうのすけ廿二の若者わかもの何某学校なにがしがくかう通学生つうがくせいとかや中村なかむらのかたにはむすめ只一人たゞひとり男子をとこもありたれど早世さうせいしての一つぶものとて寵愛ちやうあいはいとゞのうちのたまかざしのはなかぬかぜまづいとひてねがふはあし田鶴たづよはひながゝれとにや千代ちよとなづけし親心おやごゝろにぞゆらんものよ栴檀せんだん二葉ふたば三ツ四ツより行末ゆくすゑさぞとひとのほめものにせし姿すがたはなあめさそふ弥生やよひやまほころびめしつぼみにながめそはりてさかりはいつとまつのごしのつきいざよふといふも可愛かあいらしき十六さい高島田たかしまだにかくるやさしきなまこしぼりくれなゐは園生そのふうゑてもかくれなきもの中村なかむらのおぢやうさんとあらぬひとにまでうはさゝるゝ美人びじんもうるさきものぞかしさても習慣しふくわんこそは可笑をかしけれ北風きたかぜそらにいかのぼりうならせて電信でんしんはしら邪魔じやまくさかりしむかしはわれむかしおもへど良之助りやうのすけ千代ちよむかふときはありし雛遊ひなあそびのこゝろあらたまらずあらたまりし姿すがたかたちにとめんとせねばとまりもせでりやうさん千代ちいちやんと他愛たあいもなき談笑だんせふては喧嘩けんくわ糸口いとぐち最早もう来玉きたまふななにしにんお前様まへさまこそのいひじらけに見合みあはさぬかほはつ二日目ふつかめ昨日きのふわたしるかりし此後このごはあのやう我儘わがまゝいひませぬほどにおゆるしあそばしてよとあどなくもびられて流石さすがにをかしくけではあられぬはるこほりイヤぼくこそが結局けつきよくなりいもといふものあぢしらねどあらばくまであいらしきか笑顔えがほゆたかにそでひかへてりやうさん昨夕ゆふべうれしきゆめたりお前様まへさま学校がくかう卒業そつげふなされてなんといふおやくらず高帽子たかぼうし立派りつぱくろぬりの馬車ばしやにのりて西洋館せいやうくわんたまところをといふゆめ逆夢さかゆめ馬車ばしやにでもかれはせぬかと大笑おほわらひすればうつくしきまゆひそめてになることおつしやるよ今日けふ日曜にちえう最早もう何処どこへもおあそばすなといま教育けういくうけた似合にあはしからぬことば真実しんじつ大事だいじおもへばなり此方こなたへだてなければ彼方あちら遠慮ゑんりよもなくくれたけのよのうきとこと二人ふたりなかには葉末はずゑにおくつゆほどもらずわらふてらすはるもまだかぜさむき二月なかうめんと夕暮ゆふぐれ摩利支天まりしてん縁日ゑんにちつらぬるそであたゝかげに。 りやうさんお約束やくそくのものわすれてはいやよ。 アヽ大丈夫だいじやうぶすれやアしなひしかしコーツとんだツけねへ。 あれだものをかけにもあのくらゐねがつておいたのに。 さう/\おぼえて八百屋やをやお七の機関からくりたいとつたんだツけ。 アラいやうそばつかり。 それぢやア丹波たんばくにから生捕いけどつた荒熊あらくまでございのはうか。 うでもようございますよわたし最早もうかへりますから。 あやまつた/\いまのはみんなうそうして中村なかむら令嬢れいぢやう千代子君ちよこくんともいはれるひとがそんな御注文ちうもんをなさらうはずがない良之助りやうのすけたしかにうけたまはつてまゐつたものは。 ようございますなにりません。 さうおこつてはこまる喧嘩けんくわしながら歩行あるく往来わうらいひとわらふぢやアないか。 だつてあなたが彼様あんなことばつかしおつしやるんだもの。 それだからあやまつたとふぢやないかサア多舌しやべつるうちに小間物屋こまものやのまへはとほりこして仕舞しまつた。 あらマアどうしませうねへさきにもありますから。 どうだかぞんじませんたつたいまなにらないとつたひと何処どこに。 最早もうそれはいひツこなしとゝめるもふも一筋道すぢみち横町よこちやうかた植木うゑきおほしこちへとまねけばはしりよるぬり下駄げたおとカラコロリことひく盲女ごぜいま朝顔あさがほつゆのひぬまのあはれ/\あは水飴みづあめめしませとゆるくあまくいふとなりにあつやきしほせんべいかたきをむねとしたるもをかし。 千代ちいちやん鳥渡ちよつと見玉みたまみぎから二番目ばんめのを。 ハア彼の紅ばいがいゝことねへと余念よねんなくながりしうしろより。 中村なかむらさんと唐突だしぬけ背中せなかたゝかれてオヤとへれば束髪そくはつの一むれなにてかおむつましいことゝ無遠慮ぶゑんりよの一ごんたれがはなくちびるをもれしことばあと同音どうおんわらごゑ夜風よかぜのこしてはしくを千代ちいちやんあれなん学校がくかう御朋友おともだち随分ずゐぶん乱暴らんばう連中れんぢうだなアとあきれて見送みおく良之助りやうのすけより低頭うつむくお千代ちよ赧然はなじろめり

(中)

昨日きのふ何方いづかた宿やどりつるこゝろとてかはかなくうごめては中々なか/\にえもまらずあやしやまよふぬばたまやみいろなきこゑさへにしみておもづるにもふるはれぬ其人そのひとこひしくなるとともはづかしくつゝましくおそろしくかくはゞわらはれんかく振舞ふるまはゞいとはれんと仮初かりそめ返答いらへさへはか/″\しくはひもせずひねるたゝみちりよりぞやまともつもるおもひの数々かず/\ひたしたしなどあらはにひし昨日きのふこゝろあさかりけるこゝろわれとがむればおとなりともはず良様りやうさまともはずはねばこそくるしけれなみだしなくばとひけんからごろもむねのあたりのゆべくおぼえてよるはすがらにねむられずおもひつかれてとろ/\とすればゆめにもゆる其人そのひと面影おもかげやさしきそびらでつゝなにおもたまふぞとさしのぞかれ君様きみさまゆゑと口元くちもとまでうつゝをりこゝろならひにいひもでずしてうつむけばかくたまふはへだてがまし大方おほかたりぬれゆゑのこひぞうらやましとくやらずがほのかこちごとひとふるほどならばおもひにせもせじ御覧ごらんぜよやとさしかろおさへてにこやかにさらばたれをとはるゝにこたへんとすればあかつきかねまくらにひびきてむるほかなきおもゆめとりがねつらきはきぬ/″\のそらのみかはしかりし名残なごり心地こゝちつねならず今朝けさなんとせしぞ顔色かほいろわろしとたづぬるはゝはそのことさらにるべきならねどかほあからむも心苦こゝろぐるひるずさびの針仕事はりしごとにみだれそのみだるゝこゝろひとゞめていま何事なにごとおもはじおもひてなるべきこひかあらぬかしてつまはじきされなんはづかしさにはふたゝあはかほもあらじいもとおぼせばこそへだてもなくあいたまふなれつひのよるべとさだめんにいかなるひとをとかのぞたまふらんそはまた道理だうりなり君様きみさまつまばれんひと姿すがたあめしたつくして糸竹いとたけ文芸ぶんげいそなはりたるをこそならべてたしとわれすらおもふに御自身ごじしんなほなるべしおよぶまじきこと打出うちだして年頃としごろなかうとくもならばなにとせんそれこそはかなしかるべきをおもふまじ/\あだこゝろなく兄様あにさましたしまんによもにくみはしたまはじよそながらもやさしきおことばきくばかりがせめてもぞといさぎよく断念あきらめながらかずがほなみだほゝにつたひて思案しあんのよりいとあとにどりぬさりとてはのおやさしきがうらみぞかし一向ひたすらにつらからばさてもやまんをわすられぬは我身わがみつみひととがおもへばにくきは君様きみさまなりおこゑくもいや御姿おすがたるもいやればけばさるおもひによしなきむねをもこがすなる勿体もつたいなけれど何事なにごとまれお腹立はらだちて足踏あしぶみふつになさらずはれもらにまゐるまじねがふもつらけれど火水ひみづほどなかわろくならばなか/\に心安こゝろやすかるべしよし今日けふよりはおにもかゝらじものもいはじおさはらばそれが本望ほんまうぞとてひざにつきつめし曲尺ものさしゆるめるとともとなりこゑひとけば決心けつしんゆら/\としていままではなにおもひつるひたしのこゝろ一途いちづになりぬさりながらこゝろこゝろほかとももなくて良之助りやうのすけうつるものなんいろもあらずあいらしとおもほかてんのにごりなければわがひとにありともらずらねばきをわかちもせず面白おもしろきこと面白おもしろげなる男心をとこごゝろ淡泊たんぱくなるにさしむかひては何事なにごとのいはるべき後世のちのよつれなく我身わがみうらめしくはるはいづこぞはなともはで垣根かきね若草わかくさおもひにもえぬ

(下)

千代ちいちやん今日けふすこはうかへと二枚折まいをり屏風べうぶけてまくらもとへすは良之助りやうのすけだせし姿すがたはづかしくきかへらんとつくもいたくせたり。 なくてはいけないなんの病中びやうちう失礼しつれいなにもあつたものぢやアないそれともすこきてならぼくりかゝつてるがいゝといだおこせば居直ゐなほつて。 りやうさん学校がくかう御試験中ごしけんちうだとまをすではございませんか。 アヽ左様さう それにわたしところへばつかしらしやつてよろしいんですか。 そんなことまでにするにはおよばない病気びやうきためにわるいから。 だつてうもすみませんもの。 すむのすまないのとそんなことにするより一にちはやくなつてれるがいゝ。 御親切ごしんせつ有難ありがたうございますですが今度こんど所詮しよせんなほるまいとおもひます。 また馬鹿ばかなことをふよそんなよはだから病気びやうきがいつまでもなほりやアしないきみ心細こゝろぼそことつてたまへ御父おとつさんやおつかさんがどんなに心配しんぱいするかれません孝行かう/\きみにも似合にあはない。 でもくなるはずがありませんものと果敢はかなげにひてちまもるまぶたなみだあふれたり馬鹿ばかことをとくちにはへどむづかしかるべしとは十指じつしのさすところあはれや一日ひとひばかりのほどせもせたり片靨かたゑくぼあいらしかりしほうにくいたくちてしろきおもてはいとゞとほほどりかかる幾筋いくすぢ黒髪くろかみみどりもとみどりながらあぶらけもなきいた/\しさよわれならぬひとるとてもたれかははらわたえざらんぎりなきこゝろのみだれ忍艸しのぶぐさ小紋こもんのなへたるきぬきてうすくれなゐのしごきおび前に結びたる姿(すが)たいま幾日いくひらるべきものぞ年頃としごろ日頃ひごろ片時かたときはなるゝひまなくむつひしうちになどそここゝろれざりけんちいさきむね今日けふまでの物思ものおもひはそも幾何いくばく昨日きのふ夕暮ゆふぐれふくなみだながらかたるをけばねつつよきときはたえず我名わがなびたりとかやまいもとはお前様まへさまはるゝも道理どうりなりらざりしわれうらめしくもらさぬきみうらめしく今朝けさ見舞みまひしときせてゆるびし指輪ゆびわぬきりてこれ形見かたみとも見給みたまはゞうれしとて心細こゝろぼそげにみたる其心そのこゝろ今少いますこはやらばくまでにはおとろへさせじをと我罪わがつみおそろしくうちまもれば。 りやうさん今朝けさ指輪ゆびわはめてくださいましたかとこゑほそさよこたへはむねにせまりてくちにのぼらず無言むごんにさしひだりせてじつとばかりながめしが。 わら(は)おもつてくださいとひもあへずほろ/\とこぼすなみだそのまゝまくら俯伏うつぶしぬ。 千代ちいちやんひどく不快わるくでもなつたのかいふくくすりましてれないかうした大変たいへん顔色かほいろがわろくなつてたおばさん鳥渡ちよつと良之助りやうのすけこゑおどかされてつぎ祈念きねんをこらせしはゝ水初穂取みづはつほとりにながもとちしおふく狼狽敷あはたゞしく枕元まくらもとにあつまればお千代ちよぢたるらき。 りやうさんは。 りやうさんはおまへ枕元まくらもとにそらみぎはうにおいでなさるよ。

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闇桜 - 情報

闇桜

やみざくら

文字数 4,318文字

著者リスト:
著者樋口 一葉

底本 新日本古典文学大系 明治編 24 樋口一葉集

青空情報


底本:「新日本古典文学大系 明治編 24 樋口一葉集」岩波書店
   2001(平成13)年10月15日第1刷発行
初出:「武蔵野 第一編」
   1892(明治25)年3月23日
※括弧付きのルビは校注者が加えたものです。
入力:土屋隆
校正:noriko saito
2007年8月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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