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著者:森鴎外

がん - もり おうがい

文字数:73,540 底本発行年:1948
著者リスト:
著者森 鴎外
底本:
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いち

古い話である。 僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。 どうして年をはっきり覚えているかと云うと、その頃僕は東京大学の鉄門の真向いにあった、上条かみじょうと云う下宿屋に、この話の主人公と壁一つ隔てた隣同士になって住んでいたからである。 その上条が明治十四年に自火で焼けた時、僕も焼け出された一人いちにんであった。 その火事のあった前年の出来事だと云うことを、僕は覚えているからである。

上条に下宿しているものは大抵医科大学の学生ばかりで、そのほかは大学の附属病院に通う患者なんぞであった。 大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そう云う客は第一金廻りが好く、小気こぎが利いていて、おかみさんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。 時々はその箱火鉢の向側むこうがわにしゃがんで、世間話の一つもする。 部屋で酒盛をして、わざわざさかなこしらえさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘わがままをするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。 ずざっとこう云うたちの男が尊敬を受け、それに乗じて威福をほしいままにすると云うのが常である。 しかるに上条で幅を利かせている、僕の壁隣の男はすこぶる趣を殊にしていた。

この男は岡田と云う学生で、僕より一学年若いのだから、とにかくもう卒業に手が届いていた。 岡田がどんな男だと云うことを説明するには、その手近な、際立った性質から語り始めなくてはならない。 それは美男だと云うことである。 色のあおい、ひょろひょろした美男ではない。 血色が好くて、体格ががっしりしていた。 僕はあんな顔の男を見たことが殆ど無い。 強いて求めれば、大分だいぶあの頃からのちになって、僕は青年時代の川上眉山かわかみびさんと心安くなった。 あのとうとう窮境に陥って悲惨の最期を遂げた文士の川上である。 あれの青年時代が一寸ちょっと岡田に似ていた。 もっとも当時競漕きょうそうの選手になっていた岡田は、体格では※(「二点しんにょう+向」、第3水準1-92-55)はるかに川上なんぞにまさっていたのである。

容貌はその持主を何人なんぴとにも推薦する。 しかしそればかりでは下宿屋で幅を利かすことは出来ない。 そこで性行はどうかと云うと、僕は当時岡田程均衡を保った書生生活をしている男は少かろうと思っていた。 学期毎に試験の点数を争って、特待生を狙う勉強家ではない。 るだけの事をちゃんと遣って、級の中位ちゅういより下にはくだらずに進んで来た。 遊ぶ時間はきまって遊ぶ。 夕食後に必ず散歩に出て、十時前には間違なく帰る。 日曜日には舟をぎに行くか、そうでないときは遠足をする。 競漕前に選手仲間と向島むこうじまに泊り込んでいるとか、暑中休暇に故郷に帰るとかの外は、壁隣の部屋に主人のいる時刻と、留守になっている時刻とが狂わない。 誰でも時計を号砲どんに合せることを忘れた時には岡田の部屋へ問いに行く。 上条の帳場の時計も折々岡田の懐中時計にってただされるのである。 周囲の人の心には、久しくこの男の行動を見ていればいる程、あれは信頼すべき男だと云う感じが強くなる。 上条のお上さんがお世辞を言わない、破格な金遣いをしない岡田を褒め始めたのは、この信頼にもとづいている。 それには月々の勘定をきちんとすると云う事実があずかって力あるのは、ことわるまでもない。 「岡田さんを御覧なさい」と云うことばが、屡々しばしばお上さんの口から出る。

「どうせ僕は岡田君のようなわけには行かないさ」と先を越して云う学生がある。 かくの如くにして岡田はいつとなく上条の標準的下宿人になったのである。

岡田の日々にちにちの散歩は大抵道筋が極まっていた。

いち

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雁 - 情報

がん

文字数 73,540文字

著者リスト:
著者森 鴎外

底本

青空情報


底本:「雁」新潮文庫、新潮社
   1948(昭和23)年12月5日発行
   1985(昭和60)年11月15日第76刷改版
   1988(昭和63)年8月15日82刷
初出:壱、弐、参「スバル 第三年九号」
   1911(明治44)年9月
   肆、伍「スバル 第三年十号」
   1911(明治44)年10月
   陸、漆「スバル 第三年十一号」
   1911(明治44)年11月
   捌、玖「スバル 第三年十二号」
   1911(明治44)年12月
   拾、拾壱「スバル 第四年二号」
   1912(明治45)年2月
   拾弐「スバル 第四年三号」
   1912(明治45)年3月
   拾参、拾肆「スバル 第四年四号」
   1912(明治45)年4月
   拾伍、拾陸「スバル 第四年六号」
   1912(明治45)年6月
   拾漆、拾捌「スバル 第四年七号」
   1912(明治45)年7月
   拾玖「スバル 第四年九号」
   1912(大正1)年9月
   弐拾「スバル 第五年三号」
   1913(大正2)年3月
   弐拾壱「スバル 第五年五号」
   1913(大正2)年5月
   弐拾弐、弐拾参、弐拾肆「雁」籾山書店
   1915(大正4)年5月
入力:kompass
校正:浅原庸子
2005年10月17日作成
2014年7月28日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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