序章-章なし
どれもみんな肥料や薪炭をやりとりするさびしい家だ。
街道のところどころにちらばって黒い小さいさびしい家だ。
それももうみな戸を閉めた。
おれはかなしく来た方をふりかへる。
盛岡の電燈は微かにゆらいでねむさうにならび只公園のアーク燈だけ高い処でそらぞらしい気焔の波を上げてゐる。
どうせ今頃は無鉄砲な羽虫が沢山集ってぶっつかったりよろけたりしてゐるのだ。
私はふと空いっぱいの灰色はがねに大きな床屋のだんだら棒、あのオランダ伝来の葱の蕾の形をした店飾りを見る。
これも随分たよりないことだ。
道が小さな橋にかゝる。
螢がプイと飛んで行く。
誰かがうしろで手をあげて大きくためいきをついた。
それも間違ひかわからない。
とにかくそらが少し明るくなった。
夜明けにはまだ途方もないしきっと雲が薄くなって月の光が透って来るのだ。
向ふの方は小岩井農場だ。
四っ角山にみんなぺたぺた一緒に座る。
月見草が幻よりは少し明るくその辺一面浮んで咲いてゐる。
マッチがパッとすられ莨の青いけむりがほのかにながれる。
右手に山がまっくろにうかび出した。
その山に何の鳥だか沢山とまって睡ってゐるらしい。
並木は松になりみんなは何かを云ひ争ふ。
そんならお前さんはこゝらでいきなり頭を撲りつけられて殺されてもいゝな。
誰かが云ふ。
それはいゝ。
いゝと思ふ。
睡さうに誰かが答へる。
道が悪いので野原を歩く。
野原の中の黒い水潦に何べんもみんな踏み込んだ。
けれどもやがて月が頭の上に出て月見草の花がほのかな夢をたゞよはしフィーマスの土の水たまりにも象牙細工の紫がかった月がうつりどこかで小さな羽虫がふるふ。
けれども今は崇高な月光のなかに何かよそよそしいものが漂ひはじめた。
その成分こそはたしかによあけの白光らしい。
東がまばゆく白くなった。
月は少しく興さめて緑の松の梢に高くかかる。
みんなは七つ森の機嫌の悪い暁の脚まで来た。
道が俄かに青々と曲る。
その曲り角におれはまた空にうかぶ巨きな草穂を見るのだ。
カアキイ色の一人の兵隊がいきなり向ふにあらはれて青い茂みの中にこゞむ。
さうだ。
あそこに湧水があるのだ。