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省察 神の存在、及び人間の霊魂と肉体との区別を論証する、第一哲学についての

原題:MEDITATIONES DE PRIMA PHILOSOPHIA, IN QUIBUS DEI EXISTENTIA, ET ANIMAE HUMANAE A CORPORE DISTINCTIO, DEMONSTRANTUR.

著者:デカルト Renati Des-Cartes

せいさつ

文字数:82,432 底本発行年:1948
著者リスト:
著者ルネ・デカルト
翻訳者三木 清
底本: 省察
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序章-章なし

神の存在、及び人間の霊魂と肉体との区別を

論証する、第一哲学についての省察

書簡

聖なるパリ神学部の

いとも明識にしていとも高名なる

学部長並びに博士諸賢に

レナトゥス デス カルテス

私をしてこの書物を諸賢に呈するに至らしめました理由は極めて正当なものでありますし、諸賢もまた、私の企ての動機を理解せられました場合、この書物を諸賢の保護のもとにおかれまするに極めて正当な理由を有せられるであろうと確信いたしますので、ここにこの書物を諸賢にいわば推薦いたしまするには、私がそのなかで追求しましたことを簡単に申し述べるにしくはないと考える次第であります。

私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。 と申しますのは、われわれ信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずることで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、思われないからであります。 そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられるのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるでありましょう。 もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。 まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。 とはいえ、これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、持ち出すことができませぬ。 そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易であることが推論せられるということに、気づきました。 これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かでありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざるなりけだし彼等もしこの世のものを賞で得るほど知り得たりとせばいかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります。 またロマ書第一章には、彼等、弁解することを得ず、と言われております。 そしてまた同じ箇所にある、神に就きて知られたる事柄は彼等において顕わなり、という言葉によりまして、神について知られ得る一切のことがらは、他の処においてではなく我々の精神そのものにおいて求めらるべき根拠によって、明白にし得るということが告げられていると思われるのであります。 しからば、いかにして然るか、いかなる道によって神はこの世のものよりもさらに容易にさらに確実に認識せられるかを探究いたしますことは、私に無関係なことではないと考えた次第であります。

また霊魂に関しましては、多くの人々はその本性は容易に究明せられ得ないと判断いたしており、そして或る者は人間的な根拠からは霊魂が肉体と同時に滅びると説得せられるのほかなく、ひとり信仰によってのみその反対が理解せられるとすら敢えて申しておりますとはいえ、しかしレオ十世の下に開かれましたラテラン公会議は、第八会同におきまして、彼等を非とし、そしてキリスト教哲学者たちにかの人々の論拠を破り、全力を挙げて真理を証明するように命ずるのでありますから、私もまたこれを企てることを恐れなかった次第であります。

さらに私は、多数の不信者が神の存したまうこと、人間の精神が身体から区別せられることを信じようと欲しない原因はまさに、この二つのことがらは従来何人によっても論証せられ得なかったと彼らが申しますところに存することを知っておりますゆえに、もちろん私は決して彼等に同意するものではなく、反対にこれらの問題に対して偉大なる人々によって持ち出されましたほとんどすべての根拠は、十分に理解せられます場合には、論証の力を有すると考えておりますし、従って私は前に他の何人かによって発見せられなかったような根拠はほとんど何も与え得ないと信じておりますとはいえ、しかもひとたびそれらすべての根拠のうち最もすぐれたものを克明に考究し、そして厳密に明瞭に解明し、かくてすべての人々の前に今後これが論証であることを確かにいたしますならば、哲学においてこれにまさる有益なことは為し得ないと思慮いたすのであります。 そして最後に、私がもろもろの学問におけるあらゆる難問を解決するための或る方法を完成いたしましたことを知っております或る者は―――もちろんこの方法は新しいものではありませぬ。 と申しますのは、真理よりも古いものはないのでありますから。 けれども彼等は私がそれをしばしば他のことがらにおいて使用して実のり多かったことを見ているのであります。 ―――この仕事が私によって為されることを切に請い求めましたゆえにかようにして私はこれについて若干試みることが私の義務であると考えた次第であります。

さて私が為し遂げ得ましたほどのことはことごとくこの論文の中に含まれております。 もっとも、かのことがらを証明すべきものとして持ち出され得るであろう種々の根拠のすべてをこの中に集録することに努力いたしたわけではありませぬ。 と申しますのは、かかることは、何ら十分に確実な根拠を有しない場合にしか、労力に値しないと思われるからであります。 かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。 なおまた私は、これらは、おもうに、人間の智能にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け加えるでありましょう。 すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。 もっとも私は、私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは信じませぬ。 まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くのことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人によって極めて明証的でまた確実なものとも看做みなされておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。 あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるいはこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる次第であります。 すなわち、一つにはこれもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの精神を要求するからであります。 そして確かに世の中には形而上学の研究に適する者は幾何学の研究に適する者よりも多く見出されないのであります。 さらにまた次の点に差異が存しております。 すなわち、幾何学におきましては、すべての人が、確実な論証を有しないいかなることがらも書かれない慣わしであると信じておりますゆえに、精通しない者は、真なる事柄を反駁することにおいてよりも、偽なることがらを、これを理解すると見せ掛けようと欲しまして、是認することにおいていっそうしばしば過ちを犯すのでありますが、これに反して哲学におきましては、双方の側において論争せられ得ないいかなることがらもないと信じられておりますゆえに、少数の者のみが真理を探索し、そして大多数の者は敢えて最もすぐれた説を攻撃することによって、智能ある者との名声を得ようと努めるのであります。

かるがゆえに、私の根拠がいかなる性質のものでありましょうとも、ともかく哲学に属しているのでありますから、諸賢の庇護によって助けられるのでなければ、それらの根拠をもって労力に値する大きな効果を挙げ得ようとは、私は期待いたしませぬ。

序章-章なし
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省察 - 情報

省察 神の存在、及び人間の霊魂と肉体との区別を論証する、第一哲学についての

せいさつ かみのそんざい、およびにんげんのれいこんとにくたいとのくべつをろんしょうする、だいいちてつがくについての

文字数 82,432文字

著者リスト:
翻訳者三木 清

底本 省察

親本 デカルト選集第二卷

青空情報


底本:「省察」岩波文庫、岩波書店
   1949(昭和24)年10月20日第1刷発行
   1958(昭和33)年12月20日第13刷発行
底本の親本:「デカルト選集第二卷」創元社
   1948(昭和23)年
※「全く」と「まったく」、「明かに」と「あきらかに」、「今」と「いま」、「確かに」と「たしかに」、「極めて」と「きわめて」の混在は、底本通りです。
※原題の副題の「DE PRIMA PHILOSOPHIA, IN QUIBUS DEI EXISTENTIA, ET ANIMAE HUMANAE CORPORE DISTINCTIO, DEMONSTRANTUR.」は、ファイル冒頭ではアクセント符号を略し、「DE PRIMA PHILOSOPHIA, IN QUIBUS DEI EXISTENTIA, ET ANIMAE HUMANAE A CORPORE DISTINCTIO, DEMONSTRANTUR.」としました。
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
その際、以下の置き換えをおこないました。
「恰も→あたかも 或いは→あるいは 如何→いか (て)戴→いただ 至って→いたって 一層→いっそう 恐らく→おそらく 拘らず→かかわらず 且つ→かつ 且→かつ 嘗て→かつて かも知れ→かもしれ 蓋し→けだし 此処・茲→ここ 如→ごと 毎→ごと 悉く→ことごとく 更に→さらに 然るに→しかるに 暫らく→しばらく 直ぐ→すぐ 即ち→すなわち 是非→ぜひ 多分→たぶん 給→たま 何処→どこ 何れ→どれ 乃至→ないし 筈→はず 甚だ→はなはだ 殆ど→ほとんど 先ず→まず 復た→また 間もなく→まもなく (て)見→み 尤も→もっとも 専ら→もっぱら (て)貰→もら 故→ゆえ 僅か→わずか」
※読みにくい漢字には適宜、底本にはないルビを付した。
入力:京都大学電子テクスト研究会入力班(大石尺)
校正:京都大学電子テクスト研究会校正班(高柳典子)
2006年1月21日作成
2015年10月7日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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