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死刑の前

著者:幸徳秋水

しけいのまえ - こうとく しゅうすい

文字数:11,149 底本発行年:1984
著者リスト:
著者幸徳 秋水
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序章-章なし

第一章 死生

第二章 運命

第三章 道徳―罪悪

第四章 半生の回顧

第五章 獄中の回顧

第一章 死生

わたくしは、死刑に処せらるべく、いま東京監獄の一室に拘禁されている。

ああ、死刑! 世にある人びとにとっては、これほどいまわしく、おそろしい言葉はあるまい。 いくら新聞では見、ものの本では読んでいても、まさかに自分が、このいまわしい言葉と、眼前直接の交渉を生じようと予想した者は、一個ひとりもあるまい。 しかも、わたくしは、ほんとうにこの死刑に処せられんとしているのである。

平生わたくしを愛してくれた人びと、わたくしに親しくしてくれた人びとは、かくあるべしと聞いたときに、どんなにその真疑をうたがい、まどったであろう。 そして、その真実なるをたしかめえたときに、どんなに情けなく、あさましく、かなしく、恥ずかしくも感じたことであろう。 なかでも、わたくしの老いたる母は、どんなに絶望のやいばに胸をつらぬかれたであろう。

されど、今のわたくし自身にとっては、死刑はなんでもないのである。

わたくしが、いかにしてかかる重罪をおかしたのであるか。 その公判すら傍聴を禁止された今日にあっては、もとより、十分にこれをいうの自由はもたぬ。 百年ののち、たれかあるいはわたくしに代わっていうかも知れぬ。 いずれにしても、死刑そのものはなんでもない。

これは、放言でもなく、壮語でもなく、かざりのない真情である。 ほんとうによくわたくしを解し、わたくしを知っていた人ならば、またこの真情を察してくれるにちがいない。 堺利彦は、「非常のこととは感じないで、なんだか自然の成り行きのように思われる」といってきた。 小泉三申は、「幸徳もあれでよいのだと話している」といってきた。 どんなに絶望しているだろうと思った老いた母さえ、すぐに「かかる成り行きについては、かねて覚悟がないでもないからおどろかない。 わたくしのことは心配するな」といってきた。

死刑! わたくしには、まことに自然の成り行きである。 これでよいのである。 かねての覚悟あるべきはずである。 わたくしにとっては、世にある人びとの思うがごとく、いまわしいものでも、おそろしいものでも、なんでもない。

わたくしが死刑を期待して監獄にいるのは、瀕死の病人が、施療院にいるのと同じである。 病苦がはなはだしくないだけ、さらに楽かも知れぬ。

これはわたくしの性の獰猛どうもうなのによるか。 痴愚ちぐなるによるか。 自分にはわからぬが、しかし、今のわたくしは、人間の死生、ことに死刑については、ほぼ左のような考えをもっている。

万物はみなながれさる、とへラクレイトスもいった。 諸行は無常、宇宙は変化の連続である。

その実体サブスタンスには、もとより、終始もなく、生滅もないはずである。 されど、実体の両面たる物質と勢力とが構成し、仮現する千差万別・無量無限の形体フォームにいたっては、常住なものはけっしてない。

序章-章なし
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死刑の前 - 情報

死刑の前

しけいのまえ

文字数 11,149文字

著者リスト:
著者幸徳 秋水

底本 日本の名著 44 幸徳秋水

青空情報


底本:「日本の名著 44 幸徳秋水」中公バックス、中央公論社
   1984(昭和59)年10月20日初版発行
入力:林 幸雄
校正:今井忠夫
2003年12月14日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:死刑の前

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