安吾巷談 01 麻薬・自殺・宗教
著者:坂口安吾
あんごこうだん - さかぐち あんご
文字数:11,117 底本発行年:1950
伊豆の伊東にヒロポン屋というものが存在している。 旅館の番頭にさそわれてヤキトリ屋へ一パイのみに行って、元ダンサーという女中を相手にのんでいると、まッ黒いフロシキ包み(一尺四方ぐらい)を背負ってはいってきた二十五六の青年がある。 女中がついと立って何か話していたが、二人でトントン二階へあがっていった。
三分ぐらいで降りて戻ってきたが、男が立ち去ると、
「あの人、ヒロポン売る人よ。 一箱百円よ。 原価六十何円かだから、そんなに高くないでしょ」
という。 東京では、百二十円から、百四十円だそうである。
ヒロポン屋は遊楽街を御用聞きにまわっているのである。 最も濫用しているのはダンサーだそうで、皮下では利きがわるいから、静脈へ打つのだそうだ。
「いま、うってきたのよ」
と云って、女中は左腕をだして静脈をみせた。 五六本、アトがある。 中毒というほどではない。 ダンサー時代はよく打ったが、今は打たなくともいられる、睡気ざましじゃなくて、打ったトタンに気持がよいから打つのだと言っていた。
この女中は、自分で静脈へうつのだそうだ。
「たいがい、そうよ。 ヒロポンの静脈注射ぐらい、一人でやるのが普通よ。 かえって看護婦あがりの人なんかがダメね。 人にやってもらってるわ」
そうかも知れない。 看護婦ともなればブドウ糖の注射でも注意を集中してやるものだ。 ウカツに静脈注射など打つ気持にはなれないかも知れない。
織田作之助はヒロポン注射が得意で、酒席で、にわかに腕をまくりあげてヒロポンをうつ。 当時の流行の尖端だから、ひとつは見栄だろう。 今のように猫もシャクシもやるようになっては、彼もやる気がしなかったかも知れぬ。
織田はヒロポンの注射をうつと、ビタミンBをうち、救心をのんでいた。 今でもこの風俗は同じことで、ヒロポン・ビタミン・救心。 妙な信仰だ。 しかし、今の中毒患者はヒロポン代で精一パイだから、信仰は残っているが、めったに実行はされない。
「ビタミンBうって救心のむと、ほんとは中毒しないんだけど」
などゝ、中毒の原因がそッちの方へ転嫁されている有様である。 救心という薬は味も効能も仁丹ぐらいにしか思われてないが、べラボーに高価なところが信仰されるのかも知れない。 しかし織田が得々とうっていたヒロポンも皮下注射で、今日ではまったく流行おくれなのである。 第一、うつ量も、今日の流行にくらべると問題にならない。
私は以前から錠剤の方を用いていたが、織田にすすめられて、注射をやってみた。
注射は非常によろしくない。 中毒するのが当然なのである。
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安吾巷談 - 情報
安吾巷談 01 麻薬・自殺・宗教
あんごこうだん 01 まやく・じさつ・しゅうきょう
文字数 11,117文字
底本 坂口安吾全集 08
親本 文藝春秋 第二八巻第一号