織田信長
著者:坂口安吾
おだのぶなが - さかぐち あんご
文字数:17,766 底本発行年:1948
死のふは
――信長の好きな小唄――
朝廷からの使者は案内役の磯貝新右衛門久次と使者の立入とたった二人だけ、表向きの名目は熱田神宮参拝というのである。
信長へ綸旨と女房奉書をだしては、と立入左京亮から話を持ちかけられた
信長という半キチガイの荒れ武者がどれほど腕ッ節が強くて、先の見込みのある大将だか知らないけれども、目下天下の権を握っている三好一党と、その又上に松永
これは後日の話であるが、信長が天下を握って、御所を修理したり、お金を献上したり、色々と忠勤をつくして朝廷の衰微を救ったという。 このとき、信長が京都の町民に米を貸して、その利息米を朝廷の経済に当てる方法を施した。 この利息米のアガリが大体一ヶ月に十三石ぐらいであった。 十三石の半分を朝廷で細々とたべる。 半分を副食物や調味料にかえる。 信長が衰微を救ったという。 救われて、ようやく、これぐらいのもので、雲の上人は、まったく悲惨な生活であった。
天皇は皇子皇女をたいがい寺へ入れる。
皇女の方は尼だ。
関白も大納言も、そうだ。
足利将軍もそうだ。
子供は坊主や尼にする。
門跡寺、宮門跡などと云って、その寺格を取引にして、お寺から月々年々の
万里小路大納言惟房も、松永弾正という老
けれども、煩悶しながらも、筆をとって、二通の綸旨をかいた。

翌日早朝、天皇は惟房を召して、上
やおまえ方の心づくし、うれしく思う、この上は念を入れ、分別の上にも分別して、あくまで隠密専一にはからうようにと言って、信長へ手ミヤゲの品をあれこれお考えになる、あんまりクドイのはいけないでしょう、道服はいかゞ、よかろう、ときまって、使者はひそかに出発した。
清洲の城へ直接信長を訪ねるわけには行かないから、磯貝の知音の者で、信長の目附をしている道家尾張守をたずねて行った。 そのとき、信長は鷹狩に出ていたのである。
鷹狩の帰りに、信長は道家の邸で休息して一風呂あびて帰城するのが習慣であった。 おっつけ信長も参るでしょうから、まずお風呂でも召して旅の疲れを落して下さい、と、二名は入浴する。