アインシュタイン
著者:寺田寅彦
アインシュタイン - てらだ とらひこ
文字数:12,235 底本発行年:1985
一
この間日本へ立寄ったバートランド・ラッセルが、「今世界中で一番えらい人間はアインシュタインとレニンだ」というような意味の事を誰かに話したそうである。 この「えらい」というのがどういう意味のえらいのであるかが聞きたいのであったが、遺憾ながらラッセルの使った原語を聞き洩らした。
なるほど二人ともに革命家である。 ただレニンの仕事はどこまでが成効であるか失敗であるか、おそらくはこれは誰にもよく分らないだろうが、アインシュタインの仕事は少なくも大部分たしかに成効である。 これについては世界中の信用のある学者の最大多数が裏書をしている。 仕事が科学上の事であるだけにその成果は極めて鮮明であり、従ってそれを仕遂げた人の科学者としてのえらさもまたそれだけはっきりしている。
レニンの仕事は科学でないだけに、その人のその仕事の遂行者としてのえらさは必ずしも目前の成果のみで計量する事が出来ない。 それにもかかわらずレニンのえらさは一般の世人に分りやすい種類のものである。 取扱っているものが人間の社会で、使っているものが兵隊や金である。 いずれも科学的には訳の分らないものであるが、ただ世人の生活に直接なものであるだけに、事柄が誰にも分りやすいように思われる。
これに反してアインシュタインの取扱った対象は抽象された時と空間であって、使った道具は数学である。
すべてが論理的に明瞭なものであるにかかわらず、使っている「国語」が世人に親しくないために、その国語に熟しない人には容易に食い付けない。
それで彼の仕事を正当に理解し、彼のえらさを如実に
到底分らないような複雑な事は世人に分りやすく、比較的簡単明瞭な事の方が
アインシュタインの仕事の偉大なものであり、彼の頭脳が飛び離れてえらいという事は早くから一部の学者の間には認められていた。
しかし一般世間に
彼の理論、ことに重力に関する新しい理論の実験的証左は、それがいずれも極めて機微なものであるだけにまだ極度まで完全に確定されたとは云われないかもしれない。
しかし万一将来の実験や観測の結果が、彼の現在の理論に多少でも不利なような事があったとしても、彼の物理学者としてのえらさにはそのために少しの
物理学の基礎になっている力学の根本に或る弱点のあるという事は早くから認められていた。
しかし彼以前の多くの学者にはそれをどうしたらいいかが分らなかった。
あるいは大多数の人は因襲的の妥協に馴れて別にどうしようとも思わなかった。
力学の教科書はこの急所に触れないように知らん顔をしてすましていた。
それでも実用上の多くの問題には実際差支えがなかったのである。
ところが近代になって電子などというものが発見され、あらゆる電磁気や光熱の現象はこの不思議な物の作用に帰納されるようになった。
そしてこの物が特別な条件の下に驚くべき快速度で運動する事も分って来た。
こういう物の運動に関係した問題に触れ初めると同時に、今までそっとしておいた力学の急所がそろそろ痛みを感ずるようになって来た。
ロレンツのごとき優れた老大家は
病源を見つけたのが第一のえらさで、それを手術した
しかし病気はそれだけではなかった。 第一の手術で「速度の相対性」を片付けると、必然の成行きとして「重力と加速度の問題」が起って来た。 この急所の痛みは、他の急所の痛みが消えたために一層鋭く感ぜられて来た。 しかしこの方の手術は一層面倒なものであった。
一
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