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杜子春

著者:芥川龍之介

とししゅん - あくたがわ りゅうのすけ

文字数:9,074 底本発行年:1968
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著者芥川 竜之介
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ある春の日暮です。

とうの都洛陽らくようの西の門の下に、ぼんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました。

若者は名を杜子春といって、元は金持の息子でしたが、今は財産をつかい尽して、その日の暮しにも困る位、あわれな身分になっているのです。

何しろその頃洛陽といえば、天下に並ぶもののない、繁昌はんじょうきわめた都ですから、往来にはまだしっきりなく、人や車が通っていました。 門一ぱいに当っている、油のような夕日の光の中に、老人のかぶったしゃの帽子や、土耳古トルコの女の金の耳環みみわや、白馬しろうまに飾った色糸の手綱たづなが、絶えず流れて行く容子ようすは、まるで画のような美しさです。

しかし杜子春は相変らず、門の壁に身をもたせて、ぼんやり空ばかりながめていました。 空には、もう細い月が、うらうらとなびいたかすみの中に、まるで爪のあとかと思う程、かすかに白く浮んでいるのです。

「日は暮れるし、腹は減るし、その上もうどこへ行っても、泊めてくれる所はなさそうだし――こんな思いをして生きている位なら、一そ川へでも身を投げて、死んでしまった方がましかも知れない」

杜子春はひとりさっきから、こんな取りとめもないことを思いめぐらしていたのです。

するとどこからやって来たか、突然彼の前へ足を止めた、片目すがめの老人があります。 それが夕日の光を浴びて、大きな影を門へ落すと、じっと杜子春の顔を見ながら、

「お前は何を考えているのだ」と、横柄に声をかけました。

わたしですか。 私は今夜寝る所もないので、どうしたものかと考えているのです」

老人の尋ね方が急でしたから、杜子春はさすがに眼を伏せて、思わず正直な答をしました。

「そうか。 それは可哀そうだな」

老人はしばらく何事か考えているようでしたが、やがて、往来にさしている夕日の光を指さしながら、

「ではおれがいことを一つ教えてやろう。 今この夕日の中に立って、お前の影が地に映ったら、その頭に当る所を夜中よなかに掘って見るが好い。 きっと車に一ぱいの黄金おうごんまっているはずだから」

「ほんとうですか」

杜子春は驚いて、伏せていた眼をげました。 ところが更に不思議なことには、あの老人はどこへ行ったか、もうあたりにはそれらしい、影も形も見当りません。 その代り空の月の色は前よりもなお白くなって、休みない往来の人通りの上には、もう気の早い蝙蝠こうもりが二三匹ひらひら舞っていました。

杜子春は一日の内に、洛陽の都でもただ一人という大金持になりました。 あの老人の言葉通り、夕日に影を映して見て、その頭に当る所を、夜中にそっと掘って見たら、大きな車にも余る位、黄金が一山出て来たのです。

大金持になった杜子春は、すぐに立派なうちを買って、玄宗げんそう皇帝にも負けない位、贅沢ぜいたくな暮しをし始めました。 蘭陵らんりょうの酒を買わせるやら、桂州けいしゅう竜眼肉りゅうがんにくをとりよせるやら、日に四度よたび色の変る牡丹ぼたんを庭に植えさせるやら、白孔雀しろくじゃくを何羽も放し飼いにするやら、玉を集めるやら、にしきを縫わせるやら、香木こうぼくの車を造らせるやら、象牙ぞうげの椅子をあつらえるやら、その贅沢を一々書いていては、いつになってもこの話がおしまいにならない位です。

するとこういううわさを聞いて、今まではみちで行き合っても、挨拶あいさつさえしなかった友だちなどが、朝夕遊びにやって来ました。 それも一日ごとに数が増して、半年ばかりつ内には、洛陽の都に名を知られた才子や美人が多い中で、杜子春の家へ来ないものは、一人もない位になってしまったのです。 杜子春はこの御客たちを相手に、毎日酒盛りを開きました。 その酒盛りの又さかんなことは、中々なかなか口には尽されません。 ごくかいつまんだだけをお話しても、杜子春が金のさかずきに西洋から来た葡萄酒ぶどうしゅんで、天竺てんじく生れの魔法使が刀をんで見せる芸に見とれていると、そのまわりには二十人の女たちが、十人は翡翠ひすいはすの花を、十人は瑪瑙めのうの牡丹の花を、いずれも髪に飾りながら、笛や琴をふし面白く奏しているという景色なのです。

しかしいくら大金持でも、御金には際限がありますから、さすがに贅沢家の杜子春も、一年二年と経つ内には、だんだん貧乏になり出しました。 そうすると人間は薄情なもので、昨日きのうまでは毎日来た友だちも、今日は門の前を通ってさえ、挨拶一つして行きません。 ましてとうとう三年目の春、又杜子春が以前の通り、一文無しになって見ると、広い洛陽の都の中にも、彼に宿を貸そうという家は、一軒もなくなってしまいました。 いや、宿を貸すどころか、今ではわんに一杯の水も、恵んでくれるものはないのです。

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杜子春 - 情報

杜子春

とししゅん

文字数 9,074文字

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底本 蜘蛛の糸・杜子春

青空情報


底本:「蜘蛛の糸・杜子春」新潮文庫、新潮社
   1968(昭和43)年11月15日発行
   1989(平成元)年5月30日46刷
初出:「赤い鳥」
   1920(大正9)年7月号
入力:蒋龍
校正:noriko saito
2005年1月7日作成
2013年10月29日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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