不良少年とキリスト
著者:坂口安吾
ふりょうしょうねんとキリスト - さかぐち あんご
文字数:13,899 底本発行年:1948
もう十日、歯がいたい。 右頬に氷をのせ、ズルフォン剤をのんで、ねている。 ねていたくないのだが、氷をのせると、ねる以外に仕方がない。 ねて本を読む。 太宰の本をあらかた読みかえした。
ズルフォン剤を三箱カラにしたが、痛みがとまらない。 是非なく、医者へ行った。 一向にハカバカしく行かない。
「ハア、たいへん、よろしい。 私の申上げることも、ズルフォン剤をのんで、氷嚢をあてる、それだけです。 それが何より、よろしい」
こっちは、それだけでは、よろしくないのである。
「今に、治るだろうと思います」
この若い医者は、完璧な言葉を用いる。 今に、治るだろうと思います、か。 医学は主観的認識の問題であるか、薬物の客観的効果の問題であるか。 ともかく、こっちは、歯が痛いのだよ。
原子バクダンで百万人一瞬にたゝきつぶしたって、たった一人の歯の痛みがとまらなきゃ、なにが文明だい。 バカヤロー。
女房がズルフォン剤のガラスビンを縦に立てようとして、ガチャリと倒す。 音響が、とびあがるほど、ひゞくのである。
「コラ、バカ者!」
「このガラスビンは立てることができるのよ」
先方は、曲芸をたのしんでいるのである。
「オマエサンは、バカだから、キライだよ」
女房の血相が変る。 怒り、骨髄に徹したのである。 こっちは痛み骨髄に徹している。
グサリと短刀を頬へつきさす。 エイとえぐる。 気持、よきにあらずや。 ノドにグリグリができている。 そこが、うずく。 耳が痛い。 頭のシンも、電気のようにヒリヒリする。
クビをくくれ。 悪魔を亡ぼせ。 退治せよ。 すゝめ。