アンゴウ
著者:坂口安吾
アンゴウ - さかぐち あんご
文字数:11,121 底本発行年:1948
矢島は社用で神田へでるたび、いつもするように、古本屋をのぞいて歩いた。 すると、太田亮氏著「日本古代に於ける社会組織の研究」が目についたので、とりあげた。
一度は彼も所蔵したことのある本であるが、出征中戦火でキレイに蔵書を焼き払ってしまった。 失われた書物に再会するのはなつかしいから手にとらずにいられなくなるけれども、今さら一冊二冊買い戻してみてもと、買う気持にもならない。 そのくせ別れづらくもあり、ほろにがいものだ。
頁をくると、扉に「神尾蔵書」と印がある。 見覚えのある印である。 戦死した旧友の蔵本に相違ない。 彼の留守宅も戦火にやかれ、その未亡人は仙台の実家にもどっている筈であった。
矢島はなつかしさに、その本を買った。 社へもどって、ひらいてみると、頁の間から一枚の見覚えのある用箋が現れた。 魚紋書館の用箋だ。 矢島も神尾も出征まではそこの編輯部につとめていたのだ。 紙面には次のように数字だけ記されていた。
[#ここから横組み]
34 14 14
37 1 7
36 4 10
54 11 2
370 1 2
366 2 4
370 1 1
369 3 1
367 9 6
365 10 3
365 10 7
365 11 4
365 10 9
368 6 2
370 10 7
367 6 1
370 4 1
[#ここで横組み終わり]
心覚えに頁を控えたものかと思ったが、同じ数字がそろっているから、そうでもないらしい。 まさか暗号ではあるまいが、ヒマな時だから、ふとためす気持になって、三十四頁十四行十四宇目、四字まですゝむと、彼はにわかに緊張した。 語をなしているからだ。
「いつもの処にいます七月五日午後三時」
全部でこういう文句になる。 あきらかに暗号だ。