時と永遠
著者:波多野精一
ときとえいえん - はたの せいいち
文字数:136,814 底本発行年:1943
亡き妻の記念に
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序
時と永遠の問題は古今を通じて哲學及び宗教の最も重大なる關心事に屬する。 それはまた最も困難なる問題の一である。 本書は舊著『宗教哲學』において展開されたる解決の試みに基づき、それの敷衍擴充を企圖したものである。 尤もここかしこ修正にをはつた處もある。 この問題は哲學と宗教とが互の敬意と理解とをもつて相接近することによつてのみ解決されるといふことは著者のかねてより信ずる所である。 外面的方便的なる利用や借用又は盲從や迎合などを意味する接近は、いつも行はれがちの事ではあるが、双方の品位を損ね純潔を汚すものとして、遠ざくべきである。 本書は哲學の立場に立つたゆゑ勢ひ宗教哲學の觀點を取つた。
本書に使用した術語は今日學界における慣例に從ひ異を樹てることは力めて避けたが、止むを得ずただ一つの例外を殘した。 それは「將來」と「未來」との兩語に關するものである。 それらは通常大體において同義語として使用されるが、今日の學界は、おほかた長き過去を有する習慣の惰性によつてであらうが、「未來」に對して偏愛の念を抱くらしく、計畫や希望の如き積極的態度に對應する場合にさへ、この語を用ゐる傾きがある。 これは自ら省るべきことである。 立入つた論述は本文(二節、四三節)に讓るが、兩者は少數の場合ながら實質においても必ずしも一致せず、一致する多數の場合においても、「將來」は單純に積極的に事柄の根源的意義を言ひ表はすものとして優先權を要求する。 來らむとしてしかも未だ來らぬといふのが「未來」である。 派生的現象といふべきである。 言語上の表現に徴するも、將來は簡單に動詞の一變化によつて言ひ表はされうるが、「未來」の場合には副詞が特に添へられねばならぬ。 それ故本書はあらゆる場合に通ずる總稱として「將來」を採用した。
昭和十八年一月
著者
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目次
第一章 自然的時間性
第二章 文化及び文化的時間性
一 文化
二 活動と觀想
三 文化的時間性
第三章 客觀的時間
第四章 死
第五章 不死性と無終極性
第六章 無時間性
第七章 永遠性と愛
一 エロースとアガペー
二 神聖性 創造 惠み
三 象徴性 啓示 信仰
四 永遠と時 有限性と永遠性
五 罪 救ひ 死
六 死後の生と時の終りの世