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次郎物語 01 第一部

著者:下村湖人

じろうものがたり - しもむら こじん

文字数:157,544 底本発行年:1965
著者リスト:
著者下村 湖人
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一 お猿さん

しゃくにさわるったら、ありゃしない。」 と、乳母のお浜が、台所の上りがまちに腰をかけながら言う。

「全くさ。 いくら気がきついたって、奥さんもあんまりだよ。 まるで人情というものをふみつけにしているんだもの。」 と、かまどの前で、あばた面をほてらしながら、お糸婆さんが、能弁にあいづちをうつ。

「お前たち、何を言っているんだよ。」 と、その時、台所と茶の間を仕切る障子が、がらりと開いて、お民のかん高い声が、鋭く二人の耳をうつ。

お糸婆さんは、そ知らぬ顔をする。 お浜は、どうせやけ糞だ、といったように、まともにお民の顔を見かえす。 見返されて、お民はいよいよきっとなる。

「お浜、あたしあれほど事をわけて言っているのに、お前まだわからないのかい。 きょう一は何と言っても惣領そうりょうなんだからね。 どうせあの子を、そういつまでも、お前の家に預けとくわけにはいかないじゃないか。」

「そんなこと、もうわかっていますわ。 どうせ御無理ごもっともでしょうからね。」

「お前何ということをお言いだい、私に向かって。 ……お前それですむと思うの。」

「すむかすまないかわかりませんわ。 まるでだましうちにあったんですもの。」

「欺しうちだって。」

「そうじゃございませんか。 恭さんをちょっと連れて来いとおっしゃるから、つれて上ると、すぐにお祖母さんに連れ出さしておいて、そのあとで、こんなお話なんですもの。」

「それで、お前すねたというのだね。」

「すねたくもなろうじゃありませんか。 私にも人情っていうものがございますからね。」

「すると、恭一の代りに、次郎を預るのは、どうしても嫌だとお言いなのかい。」

お浜はそっぽを向いて默りこむ。

「何というわからずやだろうね。 私に乳がないばっかりにこうして頼んでいるのに、やさしく言えばつけ上ってさ。 ……いやなら嫌でいいよ、もうお前にはどの子も頼まないから。 その代りこの家とはこれっきり縁を切るから、そうお思い。 飯米はんまいに困るなんてまた泣きついて来たって知らないよ。 恭一にだって、これからはどんな事があっても逢わせるこっちゃない。」

お民は、そう言ってぴしゃりと障子しょうじをしめた。

「奥さん、そりゃあんまりです。 あんまりです。」

お浜はしめられた障子のそとでわめき立てた。

「何があんまりだよ。」

一 お猿さん

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次郎物語 - 情報

次郎物語 01 第一部

じろうものがたり 01 だいいちぶ

文字数 157,544文字

著者リスト:
著者下村 湖人

底本 下村湖人全集 第一巻

青空情報


底本:「下村湖人全集 第一巻」池田書店
   1965(昭和40)年7月10日発行
※「黒+犬」は、「默」で入力しました。
入力:tatsuki
校正:松永正敏
2005年12月9日作成
2015年3月7日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:次郎物語

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