次郎物語 01 第一部
著者:下村湖人
じろうものがたり - しもむら こじん
文字数:157,544 底本発行年:1965
一 お猿さん
「
「全くさ。
いくら気がきついたって、奥さんもあんまりだよ。
まるで人情というものをふみつけにしているんだもの。」
と、
「お前たち、何を言っているんだよ。」 と、その時、台所と茶の間を仕切る障子が、がらりと開いて、お民のかん高い声が、鋭く二人の耳をうつ。
お糸婆さんは、そ知らぬ顔をする。 お浜は、どうせやけ糞だ、といったように、まともにお民の顔を見かえす。 見返されて、お民はいよいよきっとなる。
「お浜、あたしあれほど事をわけて言っているのに、お前まだわからないのかい。
「そんなこと、もうわかっていますわ。 どうせ御無理ごもっともでしょうからね。」
「お前何ということをお言いだい、私に向かって。 ……お前それですむと思うの。」
「すむかすまないかわかりませんわ。
まるで
「欺しうちだって。」
「そうじゃございませんか。 恭さんをちょっと連れて来いとおっしゃるから、つれて上ると、すぐにお祖母さんに連れ出さしておいて、そのあとで、こんなお話なんですもの。」
「それで、お前すねたというのだね。」
「すねたくもなろうじゃありませんか。 私にも人情っていうものがございますからね。」
「すると、恭一の代りに、次郎を預るのは、どうしても嫌だとお言いなのかい。」
お浜はそっぽを向いて默りこむ。
「何というわからずやだろうね。
私に乳がないばっかりにこうして頼んでいるのに、やさしく言えばつけ上ってさ。
……
お民は、そう言ってぴしゃりと
「奥さん、そりゃあんまりです。 あんまりです。」
お浜はしめられた障子のそとでわめき立てた。
「何があんまりだよ。」