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一兵卒と銃

著者:南部修太郎

いっぺいそつとじゅう - なんぶ しゅうたろう

文字数:6,062 底本発行年:1930
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著者南部 修太郎
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序章-章なし

きりふかい六ぐわつよるだつた。 丁度ちやうどはら出張演習しゆつちやうえんしふ途上とじやうのことで、ながい四れつ縱隊じうたいつくつた我我われわれのA歩兵ほへい聯隊れんたいはC街道かいだうきたきたへと行進かうしんしてゐた。

かぜはなかつた。 空氣くうきみづのやうにおもしづんでゐた。 人家じんかも、燈灯ともしびも、はたけも、もりも、かはも、をかも、そしてあるいてゐる我我われわれからだも、はひとかしたやうな夜霧よぎりうみつつまれてゐるのであつた。 頭上づじやうには處處しよしよかすかな星影ほしかげかんじられた。

「おい小泉こいづみやにすぢやないか‥‥」と、わたし右隣みぎどなりあるいてゐる、これも一ねん志願兵しぐわんへい河野かうのささやいた。

「さうだ、まつたすね。 わるくすると、明日あしたあめだぜ‥‥」と、わたしざまこたへた。 河野かうのねむさうなやみなかにチラリとひかつた。

「うむ‥‥」と、河野かうのうなづいた。 しかし、演習地えんしふちあめ閉口へいこうするな‥‥」と、かれはまたつかれたやうなこゑつた。

「ほんとにあめやだな‥‥」と、わたしはシカシカするそら見上みあげた。

よる大分だいぶんけてゐた。 遼陽城頭れうやうじやうとうけて‥‥」と、さつきまで先登せんとうの一大隊だいたいはうきこえてゐた軍歌ぐんかこゑももう途絶とだえてしまつた。 兵營へいえいからすでに十ちか行程かうていと、息詰いきづまるやうにしするよる空氣くうきと、ねむたさと空腹くうふくとにされて、兵士達へいしたちつかれきつてゐた。 たれもがからだをぐらつかせながら、まるで出來できわる機械人形きかいにんぎやうのやうなあしはこんでゐたのだつた。 隊列たいれつ可成かなみだれてゐた。

わたし左側ひだりがはにゐる中根なかね等卒とうそつはもう一時間じかんまへから半分はんぶんくちをダラリとけて、ねむつたままあるいてゐた。 平生へいぜいからお人好ひとよしで、愚圖ぐづで、低能ていのうかれは、もともとだらしのないをとこだつたが、いままつた正體しやうたいうしなつてゐた。 かれ何度なんどわたしかたたふれかゝつたかれなかつた。 そしてまた何度なんどわたしみちそとへよろけさうとするかれおさへてやつたかれなかつた。

「おい、ちやああぶないぞ‥‥」と、わたし度毎たびごとにハラハラしてかれ脊中せなかたたけた。 が、瞬間しゆんかんにひよいといて足元あしもとかためるだけで、またぐにひよろつきすのであつた。

「みんなねむつちやいかん‥‥」と、時時ときどき我我われわれ分隊長ぶんたいちやう高岡軍曹たかをかぐんそう無理作むりづくりのドラごゑげた[#「げた」は底本では「けた」] が、中根なかねばかりではない、どの兵士達へいしたちももうそれにみみすだけの氣力きりよくはなかつた。 そして、まるで酒場さかばひどれのやうな兵士へいし集團しふだんしめつた路上ろじやうおもくつりながら、革具かはぐをぎゆつぎゆつきしらせながら劍鞘けんざやたがひにかちあはせながら、折折をりをり寢言ねごとのやうなうなごゑてながら、まだ五六さきのNはらまであるかなければならなかつた。

「Fまちはまだかな‥‥」とまた河野かうのいて、おもしたやうにたづねた。

「もうきだ。 よつぽどまへにEはしわたつたからな‥‥」と、わたしねむたさをこらへながら生返事なまへんじをした。

「さうか、それでもまださきはなかなかとほいなあ‥‥」と、河野かうの右手みぎてじうおもさうにずりげながらつた。

「うん、それもさうだが、なにしろおれはもうねむくて閉口へいこうだ。 此處ここらでゴロリとやつちまひたいな‥‥」

まつたくだ。 いま一寢入ひとねいりさせてくれりやあいのちらないな‥‥」

「はは、かうなりやあ人間にんげんもみじめだ‥‥」と、わたし暗闇くらやみなか我知われしらず苦笑くせうした。

河野かうのわたしもそのままくちつぐんだ。 そして、時々ときどきよろけてかたかたをぶつけつたりしながらあるいてゐた。 わたしはもうになる中根なかねことなんかをかんがへるすきはなかつた。

序章-章なし
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一兵卒と銃 - 情報

一兵卒と銃

いっぺいそつとじゅう

文字数 6,062文字

著者リスト:

底本 新進傑作小説全集 第十四巻(南部修太郎・石濱金作集)

青空情報


底本:「新進傑作小説全集 第十四巻(南部修太郎集・石濱金作集)」平凡社
   1930(昭和5)年2月10日発行
初出:「文藝倶樂部」1919(大正8)年12月号
入力:小林徹
校正:松永正敏
2003年12月6日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:一兵卒と銃

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