いのちの初夜
著者:北條民雄
いのちのしょや - ほうじょう たみお
文字数:23,250 底本発行年:1955
駅を出て二十分ほども雑木林の中を歩くともう病院の
梅雨期にはいるちょっと前で、トランクを
病気の宣告を受けてからもう半年を過ぎるのであるが、その間に、公園を歩いている時でも街路を歩いている時でも、樹木を見ると必ず枝ぶりを気にする習慣がついてしまった。
その枝の高さや、太さなどを目算して、この枝は細すぎて自分の体重を支えきれないとか、この枝は高すぎて登るのに大変だなどという風に、時には我を忘れて考えるのだった。
木の枝ばかりでなく、薬局の前を通れば幾つも睡眠剤の名前を想い出して、眠っているように安楽往生をしている自分の姿を思い描き、汽車電車を見るとその下で悲惨な死を遂げている自分を思い描くようになっていた。
けれどこういう風に日夜死を考え、それがひどくなって行けば行くほど、ますます死にきれなくなって行く自分を発見するばかりだった。
今も尾田は林の梢を見上げて枝の具合を眺めたのだったが、すぐ
二日前、病院へはいることが定まると、急にもう一度試してみたくなって江の島まで出かけて行った。
今度死ねなければどんな処へでも行こう、そう決心すると、うまく死ねそうに思われて、いそいそと出かけて行ったのだったが、岩の上に群がっている小学生の姿や、茫漠と煙った海原に降り注いでいる太陽の明るさなどを見ていると、死などを考えている自分がひどく馬鹿げて来るのだった。
これではいけないと思って、両眼を閉じ、なんにも見えない間に飛び込むのがいちばん良いと岩頭に立つと急に助けられそうに思われて仕様がないのだった。
助けられたのでは何にもならない、けれど今の自分はとにかく飛び込むという事実がいちばん大切なのだ、と思い返して波の方へ体を曲げかけると、「今」俺は死ぬのだろうかと思い出した。
「今」どうして俺は死なねばならんのだろう、「今」がどうして俺の死ぬ時なんだろう、すると「今」死ななくても良いような気がして来るのだった。
そこで買って来たウイスキーを一本、やけにたいらげたが少しも酔いが廻って来ず、なんとなく滑稽な気がし出してからからと笑ったが、赤い
一時も早く目的地に着いて自分を決定するほかに道はない。
尾田はそう考えながら背の高い
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いのちの初夜 - 情報
青空情報
底本:「いのちの初夜」角川文庫、角川書店
1955(昭和30)年9月15日初版発行
1979(昭和54)年7月30日改版18版発行
初出:「文学界」
1936(昭和11)年2月号
入力:もりみつじゅんじ
校正:大野晋
1999年5月28日公開
2011年10月3日修正
青空文庫作成ファイル:
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