一
今日より怪談のお話を申上げまするが、怪談ばなしと申すは近来大きに廃りまして、余り寄席で致す者もございません、と申すものは、幽霊と云うものは無い、全く神経病だと云うことになりましたから、怪談は開化先生方はお嫌いなさる事でございます。
それ故に久しく廃って居りましたが、今日になって見ると、却って古めかしい方が、耳新しい様に思われます。
これはもとより信じてお聞き遊ばす事ではございませんから、或は流違いの怪談ばなしがよかろうと云うお勧めにつきまして、名題を真景累ヶ淵と申し、下総国羽生村と申す処の、累の後日のお話でございまするが、これは幽霊が引続いて出まする、気味のわるいお話でございます。
なれども是はその昔、幽霊というものが有ると私共も存じておりましたから、何か不意に怪しい物を見ると、おゝ怖い、変な物、ありゃア幽霊じゃアないかと驚きましたが、只今では幽霊がないものと諦めましたから、頓と怖い事はございません。
狐にばかされるという事は有る訳のものでないから、神経病、又天狗に攫われるという事も無いからやっぱり神経病と申して、何でも怖いものは皆神経病におっつけてしまいますが、現在開けたえらい方で、幽霊は必ず無いものと定めても、鼻の先へ怪しいものが出ればアッと云って臀餅をつくのは、やっぱり神経が些と怪しいのでございましょう。
ところが或る物識の方は、「イヤ/\西洋にも幽霊がある、決して無いとは云われぬ、必ず有るに違いない」と仰しゃるから、私共は「ヘエ然うでございますか、幽霊は矢張有りますかな」と云うと、又外の物識の方は、「ナニ決して無い、幽霊なんというは有る訳のものではない」と仰しゃるから、「ヘエ左様でございますか、無いという方が本当でげしょう」と何方へも寄らず障らず、只云うなり次第に、無いといえば無い、有るといえば有る、と云って居れば済みまするが、極大昔に断見の論というが有って、是は今申す哲学という様なもので、此の派の論師の論には、眼に見え無い物は無いに違いない、何んな物でも眼の前に有る物で無ければ有るとは云わせぬ、仮令何んな理論が有っても、眼に見えぬ物は無いに違いないという事を説きました。
すると其処へ釈迦が出て、お前の云うのは間違っている、それに一体無いという方が迷っているのだ、と云い出したから、益々分らなくなりまして、「ヘエ、それでは有るのが無いので、無いのが有るのですか」と云うと、「イヤ然うでも無い」と云うので、詰り何方か慥かに分りません。
釈迦と云ういたずら者が世に出て多くの人を迷わする哉、と申す狂歌も有りまする事で、私共は何方へでも智慧のある方が仰しゃる方へ附いて参りまするが、詰り悪い事をせぬ方には幽霊という物は決してございませんが、人を殺して物を取るというような悪事をする者には必ず幽霊が有りまする。
是が即ち神経病と云って、自分の幽霊を脊負って居るような事を致します。
例えば彼奴を殺した時に斯ういう顔付をして睨んだが、若しや己を怨んで居やアしないか、と云う事が一つ胸に有って胸に幽霊をこしらえたら、何を見ても絶えず怪しい姿に見えます。
又その執念の深い人は、生きて居ながら幽霊になる事がございます。
勿論死んでから出ると定まっているが、私は見た事もございませんが、随分生きながら出る幽霊がございます。
彼の執念深いと申すのは恐しいもので、よく婦人が、嫉妬のために、散し髪で仲人の処へ駈けて行く途中で、巡査に出会しても、少しも巡査が目に入りませんから、突当るはずみに、巡査の顔にかぶり付くような事もございます。
又金を溜めて大事にすると念が残るという事もあり、金を取る者へ念が取付いたなんという事も、よくある話でございます。
只今の事ではありませんが、昔根津の七軒町に皆川宗悦と申す針医がございまして、この皆川宗悦が、ポツ/\と鼠が巣を造るように蓄めた金で、高利貸を初めたのが病みつきで、段々少しずつ溜るに従っていよ/\面白くなりますから、大した金ではありませんが、諸方へ高い利息で貸し付けてございます。
ところが宗悦は五十の坂を越してから女房に別れ、娘が二人有って、姉は志賀と申して十九歳、妹は園と申して十七歳でございますから、其の二人を楽みに、夜中の寒いのも厭わず療治をしては僅かの金を取って参り、其の中から半分は除けて置いて、少し溜ると是を五両一分で貸そうというのが楽みでございます。
安永二年十二月二十日の事で、空は雪催しで一体に曇り、日光おろしの風は身に染みて寒い日、すると宗悦は何か考えて居りましたが、
宗「姉えや、姉えや」
志「あい……もっと火を入れて上げようかえ」
宗「ナニ火はもういゝが、追々押詰るから、小日向の方へ催促に行こうと思うのだが、又出て行くのはおっくうだから、牛込の方へ行って由兵衞さんの処へも顔を出したいし、それから小日向のお屋敷へ行ったり四ツ谷へも廻ったりするから、泊り掛で五六軒遣って来ようと思う、牛込は少し面倒で、今から行っちゃア遅いから明日行く事にしようと思うが、小日向のはずるいから早く行かないとなあ」
志「でもお父さん本当に寒いよ、若し降って来るといけないから明日早くお出でなさいな」
宗「いや然うでない、雪は催して居てもなか/\降らぬから、雪催しで些と寒いが、降らぬ中に早く行って来よう、何を出してくんな、綿の沢山はいった半纒を、あれを引掛けて然うして奴蛇の目の傘を持って、傘は紐を付けて斜に脊負って行くようにしてくんな、ひょっと降ると困るから、なに頭巾をかぶれば寒くないよ」
志「だけれども今日は大層遅いから」
宗「いゝえそうでは無い」
と云うと妹のお園が、
園「お父さん早く帰っておくれ、本当に寒いから、遅いと心配だから」
宗「なに心配はない、お土産を買って来る」
と云って出ますると、所謂虫が知らせると云うのか、宗悦の後影を見送ります。
宗悦は前鼻緒のゆるんだ下駄を穿いてガラ/\出て参りまして、牛込の懇意の家へ一二軒寄って、すこし遅くはなりましたが、小日向服部坂上の深見新左衞門と申すお屋敷へ廻って参ります。
この深見新左衞門というのは、小普請組で、奉公人も少ない、至って貧乏なお屋敷で、殿様は毎日御酒ばかりあがって居るから、畳などは縁がズタ/\になって居り、畳はたゞみばかりでたたは無いような訳でございます。
宗「お頼み申します/\」
新「おい誰か取次が有りますぜ、奥方、取次がありますよ」
奥「どうれ」
と云うので、奉公人が少ないから奥様が取次をなさる。
二
奥「おや、よくお出でだ、さア上んな、久しくお出でゞなかったねえ」
宗「ヘエこれは奥様お出向いで恐れ入ります」
奥「さアお上り、丁度殿様もお在宅で、今御酒をあがってる、さア通りな、燈光を出しても無駄だから手を取ろう、さア」
宗「これは恐入ります、何か足に引掛りましたから一寸」