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真景累ヶ淵

著者:三遊亭圓朝

しんけいかさねがふち - さんゆうてい えんちょう

文字数:206,958 底本発行年:1926
著者リスト:
著者三遊亭 円朝
校訂者鈴木 行三
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今日こんにちより怪談のお話を申上げまするが、怪談ばなしと申すは近来大きにすたりまして、余り寄席せきで致す者もございません、と申すものは、幽霊と云うものは無い、全く神経病だと云うことになりましたから、怪談は開化先生方はお嫌いなさる事でございます。 それ故に久しく廃って居りましたが、今日になって見ると、かえって古めかしい方が、耳新しい様に思われます。 これはもとより信じてお聞き遊ばす事ではございませんから、あるいりゅう違いの怪談ばなしがよかろうと云うお勧めにつきまして、名題を真景累ヶ淵と申し、下総国しもふさのくに羽生村はにゅうむらと申す処の、かさねの後日のお話でございまするが、これは幽霊が引続いて出まする、気味のわるいお話でございます。 なれども是はその昔、幽霊というものが有ると私共わたくしどもも存じておりましたから、何か不意に怪しい物を見ると、おゝ怖い、変な物、ありゃア幽霊じゃアないかと驚きましたが、只今では幽霊がないものと諦めましたから、とんと怖い事はございません。 狐にばかされるという事は有る訳のものでないから、神経病、又天狗にさらわれるという事も無いからやっぱり神経病と申して、なんでも怖いものは皆神経病におっつけてしまいますが、現在ひらけたえらい方で、幽霊は必ず無いものと定めても、鼻の先へ怪しいものが出ればアッと云って臀餅しりもちをつくのは、やっぱり神経がと怪しいのでございましょう。 ところが或る物識ものしりの方は、「イヤ/\西洋にも幽霊がある、決して無いとは云われぬ、必ず有るに違いない」と仰しゃるから、私共は「ヘエうでございますか、幽霊は矢張やっぱり有りますかな」と云うと、又外の物識の方は、「ナニ決して無い、幽霊なんというは有る訳のものではない」と仰しゃるから、「ヘエ左様でございますか、無いという方が本当でげしょう」と何方どちらへも寄らず障らず、只云うなり次第に、無いといえば無い、有るといえば有る、と云って居れば済みまするが、ごく大昔に断見だんけんの論というが有って、是は今申す哲学という様なもので、此の派の論師の論には、眼に見え無い物は無いに違いない、んな物でも眼の前に有る物で無ければ有るとは云わせぬ、仮令たとえ何んな理論が有っても、眼に見えぬ物は無いに違いないという事を説きました。 すると其処そこへ釈迦が出て、お前の云うのは間違っている、それに一体無いという方が迷っているのだ、と云い出したから、益々分らなくなりまして、「ヘエ、それでは有るのが無いので、無いのが有るのですか」と云うと、「イヤうでも無い」と云うので、詰り何方どちらたしかに分りません。 釈迦と云ういたずら者が世にいでて多くの人を迷わするかな、と申す狂歌も有りまする事で、私共は何方へでも智慧のあるかたが仰しゃるほうへ附いて参りまするが、詰り悪い事をせぬかたには幽霊という物は決してございませんが、人を殺して物を取るというような悪事をする者には必ず幽霊が有りまする。 是が即ち神経病と云って、自分の幽霊を脊負しょってるような事を致します。 例えば彼奴あいつを殺した時にういう顔付をしてにらんだが、しやおれうらんで居やアしないか、と云う事が一つ胸に有って胸に幽霊をこしらえたら、何を見ても絶えず怪しい姿に見えます。 又その執念の深い人は、生きて居ながら幽霊になる事がございます。 勿論死んでから出るとまっているが、わたくしは見た事もございませんが、随分生きながら出る幽霊がございます。 の執念深いと申すのは恐しいもので、よく婦人が、嫉妬のために、ちらし髪で仲人の処へ駈けてく途中で、巡査おまわり出会でっくわしても、少しも巡査が目に入りませんから、突当るはずみに、巡査の顔にかぶり付くような事もございます。 又金を溜めて大事にすると念が残るという事もあり、金を取る者へ念が取付いたなんという事も、よくある話でございます。

只今の事ではありませんが、昔根津ねづ七軒町しちけんちょう皆川宗悦みながわそうえつと申す針医がございまして、この皆川宗悦が、ポツ/\と鼠が巣を造るように蓄めた金で、高利貸を初めたのが病みつきで、段々少しずつ溜るに従っていよ/\面白くなりますから、たいした金ではありませんが、諸方へ高い利息で貸し付けてございます。 ところが宗悦は五十の坂を越してから女房に別れ、娘が二人有って、姉は志賀と申して十九歳、妹は園と申して十七歳でございますから、其の二人をたのしみに、夜中やちゅうの寒いのもいとわず療治をしてはわずかの金を取って参り、其の中から半分はけて置いて、少し溜ると是を五両一分で貸そうというのが楽みでございます。 安永あんえい二年十二月二十日の事で、空は雪催しで一体に曇り、日光おろしの風は身にみて寒い日、すると宗悦は何か考えて居りましたが、

宗「あんねえや、姉えや」

志「あい……もっと火を入れて上げようかえ」

宗「ナニ火はもういゝが、追々押詰るから、小日向こびなたの方へ催促に行こうと思うのだが、又出てくのはおっくうだから、牛込うしごめの方へ行って由兵衞よしべえさんのとこへも顔を出したいし、それから小日向のお屋敷へ行ったり四ツ谷へも廻ったりするから、泊りがけで五六軒って来ようと思う、牛込は少し面倒で、今から行っちゃア遅いから明日あした行く事にしようと思うが、小日向のはずるいから早く行かないとなあ」

志「でもおとっさん本当に寒いよ、し降って来るといけないから明日早くお出でなさいな」

宗「いやうでない、雪は催して居てもなか/\降らぬから、雪催しでちっと寒いが、降らぬうちに早く行って来よう、何を出してくんな、綿の沢山はいった半纒はんてんを、あれを引掛ひっかけて然うしてやっこ蛇の目の傘を持って、傘は紐を付けてはす脊負しょって行くようにしてくんな、ひょっと降ると困るから、なに頭巾をかぶれば寒くないよ」

志「だけれども今日は大層遅いから」

宗「いゝえそうでは無い」

と云うと妹のお園が、

園「おとっさん早く帰っておくれ、本当に寒いから、遅いと心配だから」

宗「なに心配はない、お土産みやを買って来る」

と云って出ますると、所謂いわゆる虫が知らせると云うのか、宗悦の後影うしろかげを見送ります。 宗悦は前鼻緒まえばなおのゆるんだ下駄を穿いてガラ/\出て参りまして、牛込の懇意のうちへ一二軒寄って、すこし遅くはなりましたが、小日向服部坂上はっとりさかうえ深見新左衞門ふかみしんざえもんと申すお屋敷へ廻って参ります。 この深見新左衞門というのは、小普請組こぶしんぐみで、奉公人も少ない、至って貧乏なお屋敷で、殿様は毎日御酒ばかりあがって居るから、畳などはへりがズタ/\になってり、畳はたゞばかりでたたは無いような訳でございます。

宗「お頼み申します/\」

新「おいたれか取次が有りますぜ、奥方、取次がありますよ」

奥「どうれ」

と云うので、奉公人が少ないから奥様が取次をなさる。

奥「おや、よくお出でだ、さアあがんな、久しくお出でゞなかったねえ」

宗「ヘエこれは奥様お出向いで恐れ入ります」

奥「さアお上り、丁度殿様もお在宅いでで、今御酒をあがってる、さア通りな、燈光あかりを出しても無駄だから手を取ろう、さア」

宗「これは恐入ります、何か足に引掛ひっかゝりましたから一寸ちょっと

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真景累ヶ淵 - 情報

真景累ヶ淵

しんけいかさねがふち

文字数 206,958文字

著者リスト:
校訂者鈴木 行三

底本 定本 圓朝全集 巻の一

親本 圓朝全集卷の一

青空情報


底本:「定本 圓朝全集 巻の一」近代文芸・資料複刻叢書、世界文庫
   1963(昭和38)年6月10日発行
底本の親本:「圓朝全集卷の一」春陽堂
   1926(大正15)年9月3日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
ただし、話芸の速記を元にした底本の特徴を残すために、繰り返し記号は原則としてそのまま用いました。同の字点「々」と同様に用いられている二の字点(漢数字の「二」を一筆書きにしたような形の繰り返し記号)は、「々」にかえました。
また、総ルビの底本から、振り仮名の一部を省きました。
底本中ではばらばらに用いられている、「其の」と「其」、「此の」と「此」、「彼(あ)の」と「彼(あの)」は、それぞれ「其の」「此の」「彼の」に統一しました。
また、底本中では改行されていませんが、会話文の前後で段落をあらため、会話文の終わりを示す句読点は、受けのかぎ括弧にかえました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「*」は注釈記号です。その内容は底本では上部欄外に書かれています。
※表題は底本では、「真景(しんけい)累(かさね)ヶ淵(ふち)」となっています。
入力:小林繁雄
校正:かとうかおり
2000年4月18日公開
2016年4月21日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:真景累ヶ淵

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