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ロマネスク

著者:太宰治

ロマネスク - だざい おさむ

文字数:18,658 底本発行年:1975
著者リスト:
著者太宰 治
底本: 太宰治全集1
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序章-章なし

仙術太郎

むかし津軽の国、神梛木かなぎ村に鍬形惣助くわがたそうすけという庄屋がいた。 四十九歳で、はじめて一子を得た。 男の子であった。 太郎と名づけた。 生れるとすぐ大きいあくびをした。 惣助はそのあくびの大きすぎるのを気に病み、祝辞を述べにやって来る親戚しんせきの者たちへ肩身のせまい思いをした。 惣助の懸念けねんはそろそろと的中しはじめた。 太郎は母者人ははじゃひとの乳房にもみずからすすんでしゃぶりつくようなことはなく、母者人のふところの中にいて口をたいぎそうにあけたまま乳房の口への接触をいつまででも待っていた。 張子はりこの虎をあてがわれてもそれをいじくりまわすことはなく、ゆらゆら動く虎の頭を退屈そうに眺めているだけであった。 朝、眼をさましてからもあわてて寝床からい出すようなことはなく、二時間ほどは眼をつぶって眠ったふりをしているのである。 かるがるしきからだの仕草をきらう精神を持っていたのであった。 三歳のとき、鳥渡ちょっとした事件を起し、その事件のお蔭で鍬形太郎の名前が村のひとたちのあいだに少しひろまった。 それは新聞の事件でないゆえ、それだけほんとうの事件であった。 太郎がどこまでも歩いたのである。

春のはじめのことであった。 夜、太郎は母者人のふところから音もたてずにころがり出た。 ころころと土間へころげ落ち、それから戸外へまろび出た。 戸外へ出てから、しゃんと立ちあがったのである。 惣助も、また母者人も、それを知らずに眠っていた。

満月が太郎のすぐ額のうえに浮んでいた。 満月の輪廓りんかくはにじんでいた。 めだかの模様の襦袢じゅばん慈姑くわいの模様の綿入れ胴衣を重ねて着ている太郎は、はだしのままで村の馬糞ばふんだらけの砂利道じゃりみちを東へ歩いた。 ねむたげに眼を半分とじて小さい息をせわしなく吐きながら歩いた。

あくる朝、村は騒動であった。 三歳の太郎が村からたっぷり一里もはなれている湯流山ゆながれやまの、林檎畑りんごばたけのまんまんなかでこともなげに寝込んでいたからであった。 湯流山は氷のかけらが溶けかけているような形で、みねには三つのなだらかな起伏があり西端は流れたようにゆるやかな傾斜をなしていた。 メートルくらいの高さであった。 太郎がどうしてそんな山の中にまで行き着けたのか、その訳は不明であった。 いや、太郎がひとりで登っていったにちがいないのだ。 けれどもなぜ登っていったのかその訳がわからなかった。

発見者であるわらび取りの娘の手籠てかごにいれられ、ゆられゆられしながら太郎は村へ帰って来た。 手籠のなかをのぞいてみた村のひとたちは皆、眉のあいだに黒い油ぎったしわをよせて、天狗てんぐ、天狗とうなずき合った。 惣助はわが子の無事である姿を見て、これは、これは、と言った。 困ったとも言えなかったし、よかったとも言えなかった。 母者人はそんなに取り乱していなかった。 太郎を抱きあげ、わらび取りの娘の手籠には太郎のかわりに手拭地を一たんいれてやって、それから土間へ大きなたらいを持ち出しお湯をなみなみといれ、太郎のからだを静かに洗った。 太郎のからだはちっとも汚れていなかった。 丸々と白くふとっていた。

序章-章なし
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ロマネスク - 情報

ロマネスク

ロマネスク

文字数 18,658文字

著者リスト:
著者太宰 治

底本 太宰治全集1

親本 筑摩全集類聚版太宰治全集

青空情報


底本:「太宰治全集1」ちくま文庫、筑摩書房
   1988(昭和63)年8月30日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
   1975(昭和50)年6月〜1976(昭和51)年6月
入力:柴田卓治
校正:小林繁雄
1999年7月3日公開
2005年10月20日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:ロマネスク

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