序章-章なし
子供より親が大事、と思いたい。
子供のために、などと古風な道学者みたいな事を殊勝らしく考えてみても、何、子供よりも、その親のほうが弱いのだ。
少くとも、私の家庭においては、そうである。
まさか、自分が老人になってから、子供に助けられ、世話になろうなどという図々しい虫のよい下心は、まったく持ち合わせてはいないけれども、この親は、その家庭において、常に子供たちのご機嫌ばかり伺っている。
子供、といっても、私のところの子供たちは、皆まだひどく幼い。
長女は七歳、長男は四歳、次女は一歳である。
それでも、既にそれぞれ、両親を圧倒し掛けている。
父と母は、さながら子供たちの下男下女の趣きを呈しているのである。
夏、家族全部三畳間に集まり、大にぎやか、大混乱の夕食をしたため、父はタオルでやたらに顔の汗を拭き、
「めし食って大汗かくもげびた事、と柳多留にあったけれども、どうも、こんなに子供たちがうるさくては、いかにお上品なお父さんといえども、汗が流れる」
と、ひとりぶつぶつ不平を言い出す。
母は、一歳の次女におっぱいを含ませながら、そうして、お父さんと長女と長男のお給仕をするやら、子供たちのこぼしたものを拭くやら、拾うやら、鼻をかんでやるやら、八面六臂のすさまじい働きをして、
「お父さんは、お鼻に一ばん汗をおかきになるようね。
いつも、せわしくお鼻を拭いていらっしゃる」
父は苦笑して、
「それじゃ、お前はどこだ。
内股かね?」
「お上品なお父さんですこと」
「いや、何もお前、医学的な話じゃないか。
上品も下品も無い」
「私はね」
と母は少しまじめな顔になり、
「この、お乳とお乳のあいだに、……涙の谷、……」
涙の谷。
父は黙して、食事をつづけた。
私は家庭に在っては、いつも冗談を言っている。
それこそ「心には悩みわずらう」事の多いゆえに、「おもてには快楽」をよそわざるを得ない、とでも言おうか。
いや、家庭に在る時ばかりでなく、私は人に接する時でも、心がどんなにつらくても、からだがどんなに苦しくても、ほとんど必死で、楽しい雰囲気を創る事に努力する。
そうして、客とわかれた後、私は疲労によろめき、お金の事、道徳の事、自殺の事を考える。
いや、それは人に接する場合だけではない。
小説を書く時も、それと同じである。
私は、悲しい時に、かえって軽い楽しい物語の創造に努力する。
自分では、もっとも、おいしい奉仕のつもりでいるのだが、人はそれに気づかず、太宰という作家も、このごろは軽薄である、面白さだけで読者を釣る、すこぶる安易、と私をさげすむ。
人間が、人間に奉仕するというのは、悪い事であろうか。
もったいぶって、なかなか笑わぬというのは、善い事であろうか。
つまり、私は、糞真面目で興覚めな、気まずい事に堪え切れないのだ。
私は、私の家庭においても、絶えず冗談を言い、薄氷を踏む思いで冗談を言い、一部の読者、批評家の想像を裏切り、私の部屋の畳は新しく、机上は整頓せられ、夫婦はいたわり、尊敬し合い、夫は妻を打った事など無いのは無論、出て行け、出て行きます、などの乱暴な口争いした事さえ一度も無かったし、父も母も負けずに子供を可愛がり、子供たちも父母に陽気によくなつく。