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家庭の幸福

著者:太宰治

かていのこうふく - だざい おさむ

文字数:8,302 底本発行年:1950
著者リスト:
著者太宰 治
底本: ヴィヨンの妻
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序章-章なし

「官僚が悪い」という言葉は、所謂いわゆる「清く明るくほがらかに」などという言葉と同様に、いかにも間が抜けて陳腐で、馬鹿らしくさえ感ぜられて、私には「官僚」という種属の正体はどんなものなのか、また、それが、どんな具合いに悪いのか、どうも、色あざやかには実感せられなかったのである。 問題外、関心無し、そんな気持に近かった。 つまり、役人は威張る、それだけの事なのではなかろうかとさえ思っていた。 しかし、民衆だって、ずるくて汚くて慾が深くて、裏切って、ろくでも無いのが多いのだから、わばアイコとでも申すべきで、むしろ役人のほうは、その大半、幼にして学を好み、長ずるに及んで立志出郷、もっぱら六法全書のくそ暗記に努め、質素倹約、友人にケチと言われても馬耳東風、祖先を敬するの念厚く、亡父の命日にはお墓の掃除などして、大学の卒業証書は金色の額縁にいれて母の寝間の壁に飾り、まことにこれ父母に孝、兄弟には友ならず、朋友ほうゆうは相信ぜず、お役所に勤めても、ただもうわが身分の大過無きを期し、ひとを憎まず愛さず、にこりともせず、ひたすら公平、紳士の亀鑑、立派、立派、すこしは威張ったって、かまわない、と私は世の所謂お役人に同情さえしていたのである。

しかるに先日、私は少しからだ具合いを悪くして、一日一ぱい寝床の中でうつらうつらしながら、ラジオというものを聞いてみた。 私はこれまで十何年間、ラジオの機械を自分の家に取りつけた事が無い。 ただ野暮ったくもったい振り、何の芸も機智も勇気も無く、図々しく厚かましく、へんにガアガア騒々しいものとばかり独断していたのである。 空襲の時にも私は、窓をひらいて首をつき出し、隣家のラジオの、一機はどうして一機はどうしたとかいう報告を聞きとって、まず大丈夫、と家の者に言って、用をすましていたものである。

いや、実は、あのラジオの機械というものは、少し高い。 くれるというひとがあったら、それは、もらってもいいけれど、酒と煙草とおいしい副食物以外には、極端に倹約吝嗇りんしょくの私にとって、受信機購入など、とんでも無い大乱費だったのである。 それなのに、昨年の秋、私がれいに依ってよそで二、三夜飲みつづけ、夕方、家は無事かと胸がドキドキして歩けないくらいの不安と恐怖とたたかいながら、やっと家の玄関前までたどりつき、大きい溜息ためいきを一つ吐いてから、ガラリと玄関の戸をあけて、

「ただいま!」

それこそ、清く明るくほがらかに、帰宅の報知をするつもりが、むざんや、いつも声がしゃがれる。

「やあ、お父さんが帰って来た」

と七歳の長女。

「まあ、お父さん、いったいどこへ行っていらしたんです」

と赤ん坊を抱いてその母も出て来る。

とっさに、うまいうそも思い浮ばず、

「あちこち、あちこち」

と言い、

「皆、めしはすんだのか」

などと、必死のごまかしの質問を発し、二重まわしを脱いで、部屋に一歩踏み込むと、箪笥たんすの上からラジオの声。

「買ったのかい? これを」

私には外泊の弱味がある。 怒る事が出来なかった。

「これは、マサ子のよ」

と七歳の長女は得意顔で、

「お母さんと一緒に吉祥寺へ行って、買って来たのよ」

「それは、よかったねえ」

と父は子供には、あいそを言い、それから母に向って小声で、

「高かったろう。 いくらだった?」

千いくらだったと母は答える。

「高い。 いったいお前は、どこから、そんな大金を算段出来たの?」

父は酒と煙草とおいしい副食物のために、いつもお金に窮して、それこそ、あちこち、あちこちの出版社から、ひどい借金をしてしまって、いきおい家庭は貧寒、母の財布には、せいぜい百円紙幣三、四枚、というのが、全くいつわりの無い実状なのである。

「お父さんの一晩のお酒代にも足りないのに、大金だなんて、……」

母もさすがに呆れたのか、笑いながら陳弁するには、お父さんのお留守のあいだに雑誌社のかたが原稿料をとどけて下さったので、この折と吉祥寺へ行って、思い切って買ってしまいました、この受信機が一ばん安かったのです、マサ子も可哀想ですよ、来年は学校ですから、ラジオでもって、少し音楽の教育をしてやらなければなりません、また私だって、夜おそくまであなたの御帰宅を待ちながら、つくろいものなんかしている時、ラジオでも聞いていると、どんなに気がまぎれて助かるかわかりませんわ。

「めしにしよう」

序章-章なし
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家庭の幸福 - 情報

家庭の幸福

かていのこうふく

文字数 8,302文字

著者リスト:
著者太宰 治

底本 ヴィヨンの妻

青空情報


底本:「ヴィヨンの妻」新潮文庫、新潮社
   1950(昭和25)年12月20日発行
   1985(昭和60)年10月30日63刷改版
初出:「中央公論」
   1948(昭和23)年8月号
入力:細渕紀子
校正:小浜真由美
1999年1月1日公開
2011年10月5日修正
青空文庫作成ファイル:
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