序章-章なし
大きい者や強い者ばかりが必ずしも人の注意に値する訳では無い。
小さい弱い平々凡々の者も中々の仕事をする。
蚊の嘴といえば云うにも足らぬものだが、淀川両岸に多いアノフェレスという蚊の嘴は、其昔其川の傍の山崎村に棲んで居た一夜庵の宗鑑の膚を螫して、そして宗鑑に瘧をわずらわせ、それより近衛公をして、宗鑑が姿を見れば餓鬼つばた、の佳謔を発せしめ、随って宗鑑に、飲まんとすれど夏の沢水、の妙句を附けさせ、俳諧連歌の歴史の巻首を飾らせるに及んだ。
蠅といえば下らぬ者の上無しで、漢の班固をして、青蠅は肉汁を好んで溺れ死することを致す、と笑わしめた程の者であるが、其のうるさくて忌々しいことは宋の欧陽修をして憎蒼蠅賦の好文字を作すに至らしめ、其の逐えば逃げ、逃げては復集るさまは、片倉小十郎をしてこれを天下の兵に擬えて、流石の伊達政宗をして首を俛して兎も角も豊臣秀吉の陣に参候するに至るだけの料簡を定めしめた。
微物凡物も亦是の如くである。
本より微物凡物を軽んずべきでは無い。
そこで今の人が好んで微物凡物、云うに足らぬようなもの、下らぬものの上無しというものを談話の材料にしたり、研究の対象にするのも、まことにおもしろい。
蚤のような男、蝨のような女が、何様致した、彼様仕った、というが如き筋道の詮議立やなんぞに日を暮したとて、尤千万なことで、其人に取ってはそれだけの価のあること、細菌学者が顕微鏡を覗いているのが立派な事業で有ると同様であろう。
が、世の中はお半や長右衛門、おべそや甘郎ばかりで成立って居る訳でも無く、バチルスやヒドラのみの宇宙でも無い。
獅子や虎のようなもの、鰐魚や鯱鉾のようなものもあり、人間にも凡物で無い非凡な者、悪く云えばひどい奴、褒めて云えば偉い者もあり、矮人や普通人で無い巨人も有り、善なら善、悪なら悪、くせ者ならくせ者で勝れた者もある。
それ等の者を語ったり観たりするのも、流行る流行らぬは別として、まんざら面白くないこともあるまい。
また人の世というものは、其代々で各々異なって居る。
自然そのままのような時もある、形式ずくめで定まりきったような時もある、悪く小利口な代もある、情慾崇拝の代もある、信仰牢固の代もある、だらけきったケチな時代もある、人々の心が鋭く強くなって沸りきった湯のような代もある、黴菌のうよつくに最も適したナマヌルの湯のような時もある、冷くて活気の乏しい水のような代もある。
其中で沸り立ったような代のさまを観たり語ったりするのも、又面白くないこともあるまい。
細かいことを語る人は今少く無い。
で、別に新らしい発見やなんぞが有る訳では無いが、たまの事であるから、沸った世の巨人が何様なものだったかと観たり語ったりしても、悪くはあるまい。
蠅の事に就いて今挙げた片倉小十郎や伊達政宗に関聯して、天正十八年、陸奥出羽の鎮護の大任を負わされた蒲生氏郷を中心とする。
歴史家は歴史家だ、歴史家くさい顔つきはしたくない。
伝記家と囚われて終うのもうるさい。
考証家、穿鑿家、古文書いじり、紙魚の化物と続西遊記に罵られているような然様いう者の真似もしたくない。
さればとて古い人を新らしく捏直して、何の拠り処もなく自分勝手の糸を疝気筋に引張りまわして変な牽糸傀儡を働かせ、芸術家らしく乙に澄ますのなぞは、地下の枯骨に気の毒で出来ない。
おおよそは何かしらに拠って、手製の万八を無遠慮に加えず、斯様も有ったろうというだけを評釈的に述べて、夜涼の縁側に団扇を揮って放談するという格で語ろう。
今があながち太平の世でも無い。
世界大戦は済んだとは云え、何処か知らで大なり小なりの力瘤を出したり青筋を立てたり、鉄砲を向けたり堡塁を造ったり、造艦所をがたつかせたりしている。
それでも先々女房には化粧をさせたり、子供には可憐な衣服をさせたりして、親父殿も晩酌の一杯ぐらいは楽んでいられて、ドンドン、ジャンジャン、ソーレ敵軍が押寄せて来たぞ、酷い目にあわぬ中に早く逃げろ、なぞということは無いが、永禄、元亀、天正の頃は、とても今の者が想像出来るような生優しい世では無かった。
資本主義も社会主義も有りはしない、そんなことは昼寝の夢に彫刻をした刀痕を談ずるような埒も無いことで、何も彼も滅茶滅茶だった。
永禄の前は弘治、弘治の前は天文だが、天文よりもまだ前の前のことだ、京畿地方は権力者の争い騒ぐところで有ったから、早くより戦乱の巷となった。
当時の武士、喧嘩商買、人殺し業、城取り、国取り、小荷駄取り、即ち物取りを専門にしている武士というものも、然様然様チャンチャンバラばかり続いている訳では無いから、たまには休息して平穏に暮らしている日もある。
行儀のよい者は酒でも飲む位の事だが、犬を牽き鷹を肘にして遊ぶ程の身分でも無く、さればと云って何の洒落た遊技を知っているほど怜悧でも無い奴は、他に智慧が無いから博奕を打って閑を潰す。
戦ということが元来博奕的のものだから堪らないのだ、博奕で勝つことの快さを味わったが最期、何に遠慮をすることが有ろう、戦乱の世は何時でも博奕が流行る。
そこで社や寺は博奕場になる。
博奕道の言葉に堂を取るだの、寺を取るだの、開帳するだのというのは今に伝わった昔の名残だ。
そこで博奕の事だから勝つ者があれば負けるものもある。
負けた者は賭ける料が無くなる。
負ければ何の道の勝負でも口惜しいから、賭ける料が尽きても止められない。
仕方が無いから持物を賭ける。
又負けて持物を取られて終うと、遂には何でも彼でも賭ける。
愈々負けて復取られて終うと、終には賭けるものが無くなる。
それでも剛情に今一ト勝負したいと、それでは乃公は土蔵一ツ賭ける、土蔵一ツをなにがし両のつもりにしろ、負けたら今度戦の有る節には必ず乃公が土蔵一ツを引渡すからと云うと、其男が約を果せるらしい勇士だと、ウン好かろうというので、其の口約束に従ってコマを廻して呉れる。