• URLをコピーしました!

『吾輩は猫である』中篇自序

著者:夏目漱石

『わがはいはねこである』ちゅうへんじじょ - なつめ そうせき

文字数:1,981 底本発行年:1972
著者リスト:
著者:夏目 漱石
0
0
0


序章-章なし

「猫」の稿を継(つ)ぐときには、大抵初篇と同じ程な枚数に筆を擱(お)いて、上下二冊の単行本にしようと思って居た。 所が何かの都合で頁(ページ)が少し延びたので書肆(しょし)は上中下にしたいと申出た。 其辺は営業上の関係で、著作者たる余には何等の影響もない事だから、それも善(よ)かろうと同意して、先(ま)ず是丈(これだけ)を中篇として発行する事にした。

そこで序をかくときに不図(ふと)思い出した事がある。 余が倫敦(ロンドン)に居るとき、忘友子規の病を慰める為め、当時彼地(かのち)の模様をかいて遙々(はるばる)と二三回長い消息をした。 無聊(ぶりょう)に苦んで居た子規は余の書翰(しょかん)を見て大に面白かったと見えて、多忙の所を気の毒だが、もう一度何か書いてくれまいかとの依頼をよこした。 此時子規は余程(よほど)の重体で、手紙の文句も頗(すこぶ)る悲酸(ひさん)であったから、情誼(じょうぎ)上何か認(したた)めてやりたいとは思ったものの、こちらも遊んで居る身分ではなし、そう面白い種をあさってあるく様な閑日月もなかったから、つい其儘(そのまま)にして居るうちに子規は死んで仕舞(しま)った。

筺底(きょうてい)から出して見ると、其手紙にはこうある。

僕ハモーダメニナッテシマッタ、毎日訳モナク号泣シテ居ルヨウナ次第ダ、ソレダカラ新聞雑誌ヘモ少シモ書カヌ。 手紙ハ一切廃止。 ソレダカラ御無沙汰シテマス。 今夜ハフト思イツイテ特別ニ手紙ヲカク。 イツカヨコシテクレタ君ノ手紙ハ非常ニ面白カッタ。 近来僕ヲ喜バセタ者ノ随一ダ。 僕ガ昔カラ西洋ヲ見タガッテ居タノハ君モ知ッテルダロー。 夫(それ)ガ病人ニナッテシマッタノダカラ残念デタマラナイノダガ、君ノ手紙ヲ見テ西洋ヘ往(いっ)タヨウナ気ニナッテ愉快デタマラヌ。 若(も)シ書ケルナラ僕ノ目ノ明イテル内ニ今一便ヨコシテクレヌカ(無理ナ注文ダガ)

画ハガキモ慥(たしか)ニ受取タ。 倫敦(ロンドン)ノ焼芋(やきいも)ノ味ハドンナカ聞キタイ。

不折ハ今巴里(パリ)ニ居テコーランノ処ヘ通ッテ居ルソウジャナイカ。 君ニ逢(お)ウタラ鰹節一本贈ルナドトイウテ居タガ、モーソンナ者ハ食ウテシマッテアルマイ。

虚子ハ男子ヲ挙ゲタ。 僕ガ年尾トツケテヤッタ。

錬郷死ニ非風死ニ皆僕ヨリ先ニ死ンデシマッタ。

僕ハ迚(とて)モ君ニ再会スル※(コト、1-2-24)(こと)ハ出来ヌト思ウ。 万一出来タトシテモ其時ハ話モ出来ナクナッテルデアロー。 実ハ僕ハ生キテイルノガ苦シイノダ。 僕ノ日記ニハ「古白曰来」ノ四字ガ特書シテアル処ガアル。

書キタイ※(コト、1-2-24)(こと)ハ多イガ苦シイカラ許シテクレ玉エ。

明治卅四年十一月六日灯下ニ書ス

東京 子規 拝

倫敦(ロンドン)ニテ

漱石 兄

此手紙は美濃紙へ行書でかいてある。 筆力は垂死の病人とは思えぬ程慥(たしか)である。 余は此手紙を見る度(たび)に何だか故人に対して済まぬ事をしたような気がする。 書きたいことは多いが苦しいから許してくれ玉えとある文句は露佯(つゆいつわ)りのない所だが、書きたいことは書きたいが、忙がしいから許してくれ玉えと云う余の返事には少々の遁辞(とんじ)が這入(はい)って居る。 憐(あわ)れなる子規は余が通信を待ち暮らしつつ、待ち暮らした甲斐(かい)もなく呼吸(いき)を引き取ったのである。

子規はにくい男である。

序章-章なし
━ おわり ━  小説TOPに戻る
0
0
0
読み込み中...
ブックマーク系
サイトメニュー
シェア・ブックマーク
シェア

『吾輩は猫である』中篇自序 - 情報

『吾輩は猫である』中篇自序

『わがはいはねこである』ちゅうへんじじょ

文字数 1,981文字

著者リスト:
著者:夏目 漱石

底本 筑摩全集類聚版 夏目漱石全集第十巻

青空情報


底本:「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集第十巻」筑摩書房 
   1972(昭和47)年1月10日第1刷発行
入力:Nana ohbe
校正:米田進
2002年5月10日作成
2011年5月22日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:『吾輩は猫である』中篇自序

小説内ジャンプ
コントロール
設定
しおり
おすすめ書式
ページ送り
改行
文字サイズ

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!