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日本人の自然観

著者:寺田寅彦

にほんじんのしぜんかん - てらだ とらひこ

文字数:22,042 底本発行年:1948
著者リスト:
著者寺田 寅彦
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序章-章なし

緒言

「日本人の自然観」という私に与えられた課題の意味は一見はなはだ平明なようで、よく考えてみると実は存外あいまいなもののように思われる。 筆を取る前にあらかじめ一応の検討と分析とを必要とするもののようである。

これは、日本人がその環境「日本の自然」をいかに見ていかに反応するか、ということ、またそれが日本人以外の外国人がそれぞれの外国の自然に対する見方とそれに対する反応しかたと比べていかなる特色をもつかということを主として意味するように思われる。 そうして第二次的には外国人が日本の自然に対する見方が日本人とどうちがうかということも問題になりうるわけである。

もしも自然というものが地球上どこでも同じ相貌そうぼうを呈しているものとしたら、日本の自然も外国の自然も同じであるはずであって、従って上記のごとき問題の内容吟味は不必要であるが、しかし実際には自然の相貌が至るところむしろ驚くべき多様多彩の変化を示していて、ひと口に自然と言ってしまうにはあまりに複雑な変化を見せているのである。 こういう意味からすると、同じように、「日本の自然」という言葉ですらも実はあまりに漠然ばくぜんとし過ぎた言葉である。 北海道や朝鮮ちょうせん台湾たいわんは除外するとしても、たとえば南海道九州の自然と東北地方の自然とを一つに見て論ずることは、問題の種類によっては決して妥当であろうとは思われない。

こう考えて来ると、今度はまた「日本人」という言葉の内容がかなり空疎な散漫なものに思われて来る。 九州人と東北人と比べると各個人の個性を超越するとしてもその上にそれぞれの地方的特性の支配が歴然と認められる。 それで九州人の自然観や東北人の自然観といったようなものもそれぞれ立派に存立しうるわけである。 しかし、ここでは、それらの地方的特性を総括しまた要約した「一般的日本人」の「要約した日本」の自然観を考察せよというのが私に与えられた問題であろうと思われる。 そうだとすると問題は決してそう容易でないことがわかるのである。

われわれは通例便宜上自然と人間とを対立させ両方別々の存在のように考える。 これが現代の科学的方法の長所であると同時に短所である。 この両者は実は合して一つの有機体を構成しているのであって究極的には独立に切り離して考えることのできないものである。 人類もあらゆる植物や動物と同様に長い長い歳月の間に自然のふところにはぐくまれてその環境に適応するように育て上げられて来たものであって、あらゆる環境の特異性はその中に育って来たものにたとえわずかでもなんらか固有の印銘を残しているであろうと思われる。

日本人の先祖がどこに生まれどこから渡って来たかは別問題として、有史以来二千有余年この土地に土着してしまった日本人がたとえいかなる遺伝的記憶をもっているとしても、その上層を大部分掩蔽えんぺいするだけの経験の収穫をこの日本の環境から受け取り、それにできるだけしっくり適応するように努力しまた少なくも部分的にはそれに成効して来たものであることには疑いがないであろうと思われる。

そういうわけであるから、もし日本人の自然観という問題を考えようとするならば、まず第一に日本の自然がいかなるものであって、いかなる特徴をもっているかということを考えてみるのが順序であろうと思われる。

もっとも過去二千年の間に日本の自然が急激に異常な変化をしたのだとすると問題は複雑になるが、幸いにも地質時代の各期に起こったと考えられるような大きな地理的気候的変化が日本の有史以後には決して起こらなかったと断言してもほとんど間違いはないと思われるから、われわれは安心して現在の日本の天然の環境がそのままにわれわれ祖先の時代のそれを示していると仮定してもはなはだしい誤謬ごびゅうに陥る心配はないであろうと思われる。

それで以下にまず日本の自然の特異性についてきわめて概略な諸相を列記してみようと思う。 そうしてその次に日本人がそういう環境に応じていかなる生活様式を選んで来たかということを考えてみたら、それだけでも私に課せられた問題に対する私としての答解の大部分はもう尽くされるのではないかと思われる。 日本人を生んだ自然とその中における生活とがあってしかる後に生まれ出た哲学宗教思想や文学芸術に関する詳細な深奥な考察については、私などよりは別にその人に乏しくないであろうと思われる。

日本の自然

日本における自然界の特異性の種々相の根底には地球上における日本国の独自な位置というものが基礎的原理となって存在しそれがすべてを支配しているように思われる。

第一に気候である。 現在の日本はカラフト国境から台湾たいわんまで連なる島環の上にあって亜熱帯から亜寒帯に近いあらゆる気候風土を包含している。 しかしそれはごく近代のことであって、日清戦争にっしんせんそう以前の本来の日本人を生育して来た気候はだいたいにおいて温帯のそれであった。 そうしていわゆる温帯の中での最も寒い地方から最も暖かい地方までのあらゆる段階を細かく具備し包含している。 こういうふうに、互いに相容あいいれうる範囲内でのあらゆる段階に分化された諸相がこの狭小な国土の中に包括されているということはそれだけでもすでに意味の深いことである。 たとえばあの厖大ぼうだいなアフリカ大陸のどの部分にこれだけの気候の多様な分化が認められるであろうかを想像してみるといいと思う。

温帯の特徴は季節の年週期である。 熱帯ではわれわれの考えるような季節という概念のほとんど成立しない土地が多い。 南洋では年じゅう夏の島がある、インドなどの季節風交代による雨期乾期のごときものも温帯における春夏秋冬の循環とはかなりかけ離れたむしろ「規則正しい長期の天気変化」とでも名づけたいものである。 しかし「天気」という言葉もやはり温帯だけで意味をもつ言葉である。 いろいろと予測し難い変化をすればこそ「天気」であろう。 寒帯でも同様である。 そこでは「昼夜」はあるが季節も天気もない。

温帯における季節の交代、天気の変化は人間の知恵を養成する。

序章-章なし
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日本人の自然観

にほんじんのしぜんかん

文字数 22,042文字

著者リスト:
著者寺田 寅彦

底本 寺田寅彦随筆集 第五巻

青空情報


底本:「寺田寅彦随筆集 第五巻」岩波文庫、岩波書店
   1948(昭和23)年11月20日第1刷発行
   1963(昭和38)年6月16日第20刷改版発行
   1997(平成9)年9月5日第65刷発行
入力:(株)モモ
校正:多羅尾伴内
2003年11月11日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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