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チャンス

著者:太宰治

チャンス - だざい おさむ

文字数:8,312 底本発行年:1975
著者リスト:
著者太宰 治
底本: 太宰治全集8
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序章-章なし

人生はチャンスだ。 結婚もチャンスだ。 恋愛もチャンスだ。 と、したり顔して教える苦労人が多いけれども、私は、そうでないと思う。 私は別段、れいの唯物論的弁証法にびるわけではないが、少くとも恋愛は、チャンスでないと思う。 私はそれを、意志だと思う。

しからば、恋愛とは何か。 私は言う。 それは非常に恥かしいものである。 親子の間の愛情とか何とか、そんなものとはまるで違うものである。 いま私の机の傍の辞苑をひらいて見たら、「恋愛」を次のごとく定義していた。

「性的衝動に基づく男女間の愛情。 すなわち、愛する異性と一体になろうとする特殊な性的愛。」

しかし、この定義はあいまいである。 「愛する異性」とは、どんなものか。 「愛する」という感情は、異性間に於いて、「恋愛」以前にまた別個に存在しているものなのであろうか。 異性間に於いて恋愛でもなく「愛する」というのは、どんな感情だろう。 すき。 いとし。 ほれる。 おもう。 したう。 こがれる。 まよう。 へんになる。 之等これらは皆、恋愛の感情ではないか。 これらの感情と全く違って、異性間に於いて「愛する」というまた特別の感情があるのであろうか。 よくキザな女が「恋愛抜きの愛情で行きましょうよ。 あなたは、あたしのお兄さまになってね」などと言う事があるけれど、あれがつまり、それであろうか。 しかし、私の経験にれば、女があんな事を言う時には、たいてい男がふられているのだと解して間違い無いようである。 「愛する」もクソもありやしない。 お兄さまだなんてばからしい。 誰がお前のお兄さまなんかになってやるものか。 話がちがうよ。

キリストの愛、などと言い出すのは大袈裟おおげさだが、あのひとの教える「隣人愛」ならばわかるのだが、恋愛でなく「異性を愛する」というのは、私にはどうも偽善のような気がしてならない。

つぎにまた、あいまいな点は、「一体になろうとする特殊な性的愛」のその「性的愛」という言葉である。

性が主なのか、愛が主なのか、卵が親か、鶏が親か、いつまでも循環するあいまいきわまる概念である。 性的愛、なんて言葉はこれは日本語ではないのではなかろうか。 何か上品めかして言いつくろっている感じがする。

序章-章なし
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文字数 8,312文字

著者リスト:
著者太宰 治

底本 太宰治全集8

親本 筑摩全集類聚版太宰治全集

青空情報


底本:「太宰治全集8」ちくま文庫、筑摩書房
   1989(平成元)年4月25日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
   1975(昭和50)年6月〜1976(昭和51)年6月
入力:柴田卓治
校正:miyako
2000年4月7日公開
2005年11月4日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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