科学者とあたま
著者:寺田寅彦
かがくしゃとあたま - てらだ とらひこ
文字数:3,811 底本発行年:1948
私に親しいある老科学者がある日私に次のようなことを語って聞かせた。
「科学者になるには『あたま』がよくなくてはいけない」これは普通世人の口にする一つの命題である。 これはある意味ではほんとうだと思われる。 しかし、一方でまた「科学者はあたまが悪くなくてはいけない」という命題も、ある意味ではやはりほんとうである。 そうしてこの後のほうの命題は、それを指摘し解説する人が比較的に少数である。
この一見相反する二つの命題は実は一つのものの互いに対立し共存する二つの半面を表現するものである。
この見かけ上のパラドックスは、実は「あたま」という言葉の内容に関する定義の
論理の連鎖のただ一つの輪をも取り失わないように、また混乱の中に部分と全体との関係を見失わないようにするためには、正確でかつ
しかしまた、普通にいわゆる常識的にわかりきったと思われることで、そうして、普通の意味でいわゆるあたまの悪い人にでも容易にわかったと思われるような尋常
いわゆる頭のいい人は、言わば足の早い旅人のようなものである。 人より先に人のまだ行かない所へ行き着くこともできる代わりに、途中の道ばたあるいはちょっとしたわき道にある肝心なものを見落とす恐れがある。 頭の悪い人足ののろい人がずっとあとからおくれて来てわけもなくそのだいじな宝物を拾って行く場合がある。
頭のいい人は、言わば富士のすそ野まで来て、そこから頂上をながめただけで、それで富士の全体をのみ込んで東京へ引き返すという心配がある。 富士はやはり登ってみなければわからない。
頭のいい人は見通しがきくだけに、あらゆる道筋の前途の難関が見渡される。 少なくも自分でそういう気がする。 そのためにややもすると前進する勇気を阻喪しやすい。 頭の悪い人は前途に霧がかかっているためにかえって楽観的である。 そうして難関に出会っても存外どうにかしてそれを切り抜けて行く。 どうにも抜けられない難関というのはきわめてまれだからである。
それで、研学の徒はあまり頭のいい先生にうっかり助言を請うてはいけない。 きっと前途に重畳する難関を一つ一つしらみつぶしに枚挙されてそうして自分のせっかく楽しみにしている企図の絶望を宣告されるからである。 委細かまわず着手してみると存外指摘された難関は楽に始末がついて、指摘されなかった意外な難点に出会うこともある。
頭のよい人は、あまりに多く頭の力を過信する恐れがある。 その結果として、自然がわれわれに表示する現象が自分の頭で考えたことと一致しない場合に、「自然のほうが間違っている」かのように考える恐れがある。 まさかそれほどでなくても、そういったような傾向になる恐れがある。 これでは自然科学は自然の科学でなくなる。 一方でまた自分の思ったような結果が出たときに、それが実は思ったとは別の原因のために生じた偶然の結果でありはしないかという可能性を吟味するというだいじな仕事を忘れる恐れがある。
頭の悪い人は、頭のいい人が考えて、はじめからだめにきまっているような試みを、一生懸命につづけている。
やっと、それがだめとわかるころには、しかしたいてい何かしらだめでない他のものの糸口を取り上げている。
そうしてそれは、そのはじめからだめな試みをあえてしなかった人には決して手に触れる機会のないような糸口である場合も少なくない。
自然は書卓の前で手をつかねて空中に絵を描いている人からは逃げ出して、自然のまん中へ赤裸で飛び込んで来る人にのみその神秘の
頭のいい人には恋ができない。 恋は盲目である。 科学者になるには自然を恋人としなければならない。 自然はやはりその恋人にのみ真心を打ち明けるものである。