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著者:太宰治

は - だざい おさむ

文字数:9,485 底本発行年:1947
著者リスト:
著者太宰 治
底本: 晩年
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序章-章なし

えらばれてあることの

恍惚こうこつと不安と

二つわれにあり

ヴェルレエヌ

死のうと思っていた。 ことしの正月、よそから着物を一反もらった。 お年玉としてである。 着物の布地は麻であった。 鼠色のこまかい縞目しまめが織りこめられていた。 これは夏に着る着物であろう。 夏まで生きていようと思った。

ノラもまた考えた。 廊下へ出てうしろの扉をばたんとしめたときに考えた。 帰ろうかしら。

私がわるいことをしないで帰ったら、妻は笑顔をもって迎えた。

その日その日を引きずられて暮しているだけであった。 下宿屋で、たった独りして酒を飲み、独りで酔い、そうしてこそこそ蒲団ふとんを延べて寝る夜はことにつらかった。 夢をさえ見なかった。 疲れ切っていた。 何をするにも物憂かった。 み取り便所は如何いかに改善すべきか?」という書物を買って来て本気に研究したこともあった。 彼はその当時、従来の人糞じんぷんの処置には可成かなりまいっていた。

新宿の歩道の上で、こぶしほどの石塊いしころがのろのろって歩いているのを見たのだ。 石が這って歩いているな。 ただそう思うていた。 しかし、その石塊いしころは彼のまえを歩いている薄汚い子供が、糸で結んで引摺ひきずっているのだということが直ぐに判った。

子供に欺かれたのが淋しいのではない。 そんな天変地異をも平気で受け入れ得た彼自身の自棄やけが淋しかったのだ。

そんなら自分は、一生涯こんな憂鬱と戦い、そうして死んで行くということに成るんだな、と思えばおのが身がいじらしくもあった。 青い稲田が一時にぽっとかすんだ。 泣いたのだ。 彼は狼狽うろたえだした。 こんな安価な殉情的な事柄になみだを流したのが少し恥かしかったのだ。

電車から降りるとき兄は笑うた。

莫迦ばかにしょげてるな。 おい、元気を出せよ」

そうして竜の小さな肩を扇子でポンと叩いた。 夕闇のなかでその扇子が恐ろしいほど白っぽかった。 竜は頬のあからむほど嬉しくなった。

序章-章なし
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文字数 9,485文字

著者リスト:
著者太宰 治

底本 晩年

青空情報


底本:「晩年」新潮文庫、新潮社
   1947(昭和22)年12月10日発行
   1985(昭和60)年10年5日70刷改版
   1998(平成10)年7月20日103刷
初出:「鷭」(季刊同人誌)
   1934(昭和9)年4月
※「日本文学(e-text)全集」作成ファイル
入力:加藤るみ
校正:深水英一郎
1999年10月7日公開
2013年4月6日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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