創作人物の名前について
著者:夢野久作
そうさくじんぶつのなまえについて - ゆめの きゅうさく
文字数:6,179 底本発行年:1992
これは探偵小説に限らない。 小説を書く人は誰でも経験するところであろう。
如何なる作家の場合でも小説の中の主人公や相手役、
AともBとも名前をきめないで書いて行く事は、ちょっと不可能のように考えられるし、単に名前だけきめて、性格や年齢、身分までをハッキリさせないまま行き当りバッタリに筋を運ぶのは、少々乱暴であり、危険ではないかと考えられるので、
ところでその名前の選み方であるが、これがナカナカ容易でない。
性来カンの悪い私などはこの名前の選定について特別に悩まされるので、何の苦もない名前を付けているらしい他人の創作なぞを読んでいる
仰向けに引っくり返って太平楽を並べている読者諸君にコンナ愚痴をこぼしても初まる話ではないが、創作の中の人物の名前なんかドウデもいいじゃないか。
どうせ
極端に神経過敏になって来ると、その創作の出来不出来は、その作中に活躍する人物の名前の選み方一つに在ると云ってもいい。
いい名前が出来ると思わず筆が進んで筋が面白く変化して来る。
「金色夜叉」の妙味は貫一、お宮の名前の対照に在る。
「
そんな馬鹿な事が……と笑いたくなる人はもうすこし先を読んでから笑いたくなってもらいたい……と開き直りたくなる位、作家にとっては重大な問題であると思う。
特にこの感が深いのは主人公の名前で、特に探偵小説の場合に於て、そうではないかと思われる。
明智小五郎、手塚竜太、帆村荘六、俵巌、シャアロック・ホルムズ、アルセーヌ・ルパン、ルコック、ソーンダイク、エラリー・クイーン等々の名前は、単にその名前が紙面に顔を出しただけでも読者の血を湧かす。
その人物の
名前は忘れたが
もちろん私は、それ程の苦心をしたおぼえはない。
今の世の中では電話帳というものや、紳士録というものがあるから東京市中をウロウロする必要ナンカないのであるが、それでも電話帳や紳士録に乗っている名前では何だかインテリやブルジョアじみているような気がして満足出来ない場合が
大正七年頃であったか、何とかいう飛行将校が夫婦相談の上で、今度生れる子を男の児ときめてナポレオンという名前にきめているところへ女の子が生まれたというのでナポ子と附けたという話が新聞へ出ていたが、吾が児なら構わないかも知れないが、小説は売り物だからそうはいかない。
読者を馬鹿にしているといって
そのほか与謝野オーギスト、今井手川四郎五郎左衛門、股毛一寸六、福田メリ子なんていうのは実在の人物ではあるが、小説の場合ではちょっと通用し難いようである。
のみならず小説の中の名前の附け方には色々な条件があって、束縛され方が普通の場合よりも甚しい。 特に探偵小説の場合に於て、そうした傾向が甚しいように思われる。
第一の条件というのは自分の書こうと思っている人物の性格や、風采にピッタリした名前でなくてはならぬ事である。
もっとも昔の小説だと風采と心が一致している場合が大変に多いのであるが、それはお伽話か神話以来の遺習で、現実味の強い今の小説ではそう手軽く行かないから困る。
人は見かけによらぬものという原則に従って、風采の感じと性格の感じとが全然正反対みたような人物が出て来ないと筋の都合が悪いような場合が甚だ多いのであるが、そのような場合でも、そうした矛盾した人物にピッタリと来る名前でなくてはいけない。
風采の方にピッタリとする名前を選めば、同時にその正反対の性格の感じも、その中に
おまけにそこへ作者の好みが附随して来るのだからイヨイヨ事が面倒になる。
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創作人物の名前について - 情報
青空情報
底本:「夢野久作全集11」ちくま文庫、筑摩書房
1992(平成4)年12月3日第1刷発行
入力:柴田卓治
校正:小林徹
2001年10月29日公開
2006年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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