江戸川乱歩氏に対する私の感想
著者:夢野久作
えどがわらんぽしにたいするわたしのかんそう - ゆめの きゅうさく
文字数:6,430 底本発行年:1992
江戸川乱歩氏に「久作論」を頼んだから、私はそれに対する「乱歩論」を書けという註文が猟奇社から来ました。
私はとりあえずドキンとしましたが、あとから直ぐに「これは書けない」と思いました。
乱歩氏は私の未見の恩人の一人なのです。
乱歩氏はズット前に、私が生れて初めて書いた懸賞探偵小説を闇から闇に葬るべく、思う存分にコキ
そのような恩人の作品を公開的に批評する事が、どうして私に出来ましょう。
さもなくとも乱歩氏は当代、探偵小説界の大先輩で居られるのに、これに対する私は後進も後進……一介の愛読者に過ぎない程度の者です。 そのような立場の者です。 たとい頼まれたにしても公々然と名前を出して、大先輩と取り組み合うというような非常識な事が、どうして出来ましょう。 世間の物笑いの種になる事が、わかり切っているではありませぬか。
そればかりではありません。
元来、私は、中学を末席で出ただけの無学な者で、文壇の傾向とか、芸術の批判とかいうような理屈ばった事には頭を突込む資格のない……ただ色々なものを勝手に読んだり、書いたりするのが楽しみというだけの野生的な利己主義者らしいのです。
批評の標準も持たなければ、説明の形式や術語もわからないのです。
ですから他人の作品をドウ思っているにしても、それを筆にするという事は出来るだけ差し控えねばならぬ。
結局、自分の恥を
しかも、そうした私の立場や、乱歩氏との関係を充分に承知していながら「乱歩論」を書けという猟奇社の注文は、とりも直さず文筆上の重刑でなくて何でしょう。 ……精神的な火渡り刑でなくて何でありましょう。
乱歩氏が「久作論」を書かれるのは何でもないにしても、私の方はナカナカそうは行きませぬ。
「売名」「軽薄」「増長」の
ところが最近に猟奇社から再度の催促状を受け取って、ジット眺めておりますと、又、何となく気が変わって来ました。
以上述べて来ましたような私の態度が、何となく卑怯なもののように感じられて来ました。
先輩の機嫌を窺うと同時に、自分の世間的立場を
乱歩氏は全くの見ず知らずの私の作品に対して、何等の顧慮も
勿論これは
……こう考え付きますと私は、急に勇気が出て来ました。 そうして何でも構わない……猟奇社の計略にかかっても……逆上したと思われても構わないから、今まで思っていた通りの事を、遠慮なく書いてみようという気になりました。
或は、これは、私の腹の中に溜まっている乱歩氏の深い印象が、書きたい衝動となって現われたもので、私としては一種の軽挙と見るべきものかも知れませぬ。 又、このような私的な考えから出た投稿をするという事は、本誌の読者に対しては勿論のこと、乱歩氏に対しても済まない事になりはしないか……というような事も考えられます。 しかし、このような機会以外に、私が自由な「乱歩論」を書き得る場合は、将来、滅多に来ないような気がしましたから、一つは書かして頂く考えになったのです。 同時に、おなじ書くにしても、当らず触らずの八百長式のものしか書けない位ならば、私は結局、駄目な人間だ……とも思いましたので、かように行きなり放題に筆を進める気になったのです。
前置きが大層長くなりましたが、これも私の「乱歩論」の重要な一部です。
どうぞ深く
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江戸川乱歩氏に対する私の感想 - 情報
青空情報
底本:「夢野久作全集11」ちくま文庫、筑摩書房
1992(平成4)年12月3日第1刷発行
入力:柴田卓治
校正:mineko
2001年4月23日公開
2006年2月26日修正
青空文庫作成ファイル:
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