• URLをコピーしました!

ポラーノの広場

著者:宮沢賢治

ポラーノのひろば - みやざわ けんじ

文字数:44,812 底本発行年:1971
著者リスト:
著者宮沢 賢治
0
0
0


序章-章なし

前十七等官 レオーノ・キュースト誌

宮沢賢治 訳述

そのころわたくしは、モリーオ市の博物局に勤めて居りました。

十八等官でしたから役所のなかでも、ずうっと下の方でしたし俸給ほうきゅうもほんのわずかでしたが、受持ちが標本の採集や整理で生れ付き好きなことでしたから、わたくしは毎日ずいぶん愉快にはたらきました。 殊にそのころ、モリーオ市では競馬場を植物園にこしらえ直すというので、その景色のいいまわりにアカシヤを植え込んだ広い地面が、切符売場や信号所の建物のついたまま、わたくしどもの役所の方へまわって来たものですから、わたくしはすぐ宿直という名前で月賦で買った小さな蓄音器と二十枚ばかりのレコードをもって、その番小屋にひとり住むことになりました。 わたくしはそこの馬を置く場所に板で小さなしきいをつけて一疋の山羊を飼いました。 毎朝その乳をしぼってつめたいパンをひたしてたべ、それから黒い革のかばんへすこしの書類や雑誌を入れ、靴もきれいにみがき、並木のポプラの影法師を大股にわたって市の役所へ出て行くのでした。

あのイーハトーヴォのすきとおった風、夏でも底に冷たさをもつ青いそら、うつくしい森で飾られたモリーオ市、郊外のぎらぎらひかる草の波。

またそのなかでいっしょになったたくさんのひとたち、ファゼーロとロザーロ、羊飼のミーロや、顔の赤いこどもたち、地主のテーモ、山猫博士のボーガント・デストゥパーゴなど、いまこの暗い巨きな石の建物のなかで考えていると、みんなむかし風のなつかしい青い幻燈のように思われます。 では、わたくしはいつかの小さなみだしをつけながら、しずかにあの年のイーハトーヴォの五月から十月までを書きつけましょう。

一、遁げた山羊

五月のしまいの日曜でした。 わたくしはにぎやかな市の教会の鐘の音で眼をさましました。 もう日はよほど登って、まわりはみんなきらきらしていました。 時計を見るとちょうど六時でした。 わたくしはすぐチョッキだけ着て山羊を見に行きました。 すると小屋のなかはしんとしてわらが凹んでいるだけで、あのみじかい角も白い髯も見えませんでした。

「あんまりいい天気なもんだから大将ひとりででかけたな。」

わたくしは半分わらうように半分つぶやくようにしながら、向うの信号所からいつも放して遊ばせる輪道の内側の野原、ポプラの中から顔をだしている市はずれの白い教会の塔までぐるっと見まわしました。 けれどもどこにもあの白い頭もせなかも見えていませんでした。 うまやを一まわりしてみましたがやっぱりどこにも居ませんでした。

「いったい山羊は馬だの犬のように前居たところや来る道をおぼえていて、そこへ戻っているということがあるのかなあ。」

わたくしはひとりで考えました。 さあ、そう思うと早くそれを知りたくてたまらなくなりました。 けれども役所のなかとちがって競馬場には物知りの年とった書記も居なければ、そんなことを書いた辞書もそこらにありませんでしたから、わたくしは何ということなしに輪道を半分通って、それからこの前山羊が村の人に連れられて来た路をそのまま野原の方へあるきだしました。

そこらの畑では燕麦えんばくもライ麦ももう芽をだしていましたし、これから何かくとこらしくあたらしく掘り起こされているところもありました。

そしていつかわたくしは町から西南の方の村へ行くみちへはいってしまっていました。

向うからは黒い着物に白いきれをかぶった百姓のおかみさんたちがたくさん歩いてくるようすなのです。 わたくしは気がついて、もう戻ってしまおうと思いました。 全くの起きたままチョッキだけ着て顔もあらわず帽子もかむらず山羊が居るかどうかもわからない広い畑のまんなかへ飛びだして来ているのです。 けれどもそのときはもう戻るのも工合が悪くなってしまっていました。 向うの人たちがじき顔の見えるところまで来ているのです。 わたくしは思い切って勢よく歩いて行っておじぎをして尋ねました。

「こっちへ山羊が迷って来ていませんでしたでしょうか。」

女の人たちはみんな立ちどまってしまいました。 教会へ行くところらしくバイブルも持っていたのです。

「こっちへ山羊が一疋迷って来たんですが、ご覧になりませんでしたでしょうか。」

みんなは顔を見合せました。 それから一人が答えました。

序章-章なし
━ おわり ━  小説TOPに戻る
0
0
0
読み込み中...
ブックマーク系
サイトメニュー
シェア・ブックマーク
シェア

ポラーノの広場 - 情報

ポラーノの広場

ポラーノのひろば

文字数 44,812文字

著者リスト:
著者宮沢 賢治

底本 銀河鉄道の夜・風の又三郎・ポラーノの広場 ほか3編

青空情報


底本:「銀河鉄道の夜・風の又三郎・ポラーノの広場 ほか三編 天沢退二郎編」講談社文庫、講談社
入力:白川由紀子
校正:須藤
2002年1月4日公開
2005年10月18日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:ポラーノの広場

小説内ジャンプ
コントロール
設定
しおり
おすすめ書式
ページ送り
改行
文字サイズ

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!