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浮雲

著者:二葉亭四迷

うきぐも - ふたばてい しめい

文字数:112,344 底本発行年:1951
著者リスト:
著者二葉亭 四迷
底本: 浮雲
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序章-章なし

浮雲はしがき

薔薇ばらの花はかしらに咲て活人は絵となる世の中独り文章而已のみかびの生えた陳奮翰ちんぷんかんの四角張りたるに頬返ほおがえしを附けかね又は舌足らずの物言ものいいを学びて口によだれを流すはつたなしこれはどうでも言文一途いっとの事だと思立ては矢もたてもなく文明の風改良の熱一度に寄せ来るどさくさ紛れお先真闇まっくら三宝荒神さんぽうこうじんさまと春のや先生を頼みたてまつ欠硯かけすずりおぼろの月のしずくを受けて墨摺流すりながす空のきおい夕立の雨の一しきりさらさらさっと書流せばアラ無情うたて始末にゆかぬ浮雲めがやさしき月の面影を思いがけなく閉籠とじこめ黒白あやめも分かぬ烏夜玉うばたまのやみらみっちゃな小説が出来しぞやと我ながら肝をつぶしてこの書の巻端に序するものは

明治丁亥ひのとい初夏

二葉亭四迷

[#改ページ]

浮雲第一篇序

古代のいまかつて称揚せざる耳馴みみなれぬ文句を笑うべきものと思い又は大体を評し得ずして枝葉の瑕瑾かきんのみをあげつらうは批評家の学識の浅薄なるとその雅想なきを示すものなりと誰人にやありけん古人がいいぬ今や我国の文壇を見るに雅運日に月に進みたればにや評論家ここかしこに現われたれど多くは感情の奴隷にして我好む所をめ我きらうところをおとすその評判の塩梅あんばいたる上戸じょうごの酒を称し下戸の牡丹餅ぼたもちをもてはやすに異ならず淡味家はアライを可とし濃味家は口取を佳とす共に真味を知る者にあらずいかでか料理通の言なりというべき就中なかんずく小説のごときは元来その種類さまざまありて辛酸甘苦いろいろなるを五味を愛憎する心をもてアタマくだしに評し去るはあにに心なきの極ならずや我友二葉亭の大人うしこのたび思い寄る所ありて浮雲という小説をつづりはじめて数ならぬ主人にも一臂いっぴをかすべしとの頼みありき頼まれ甲斐がいのあるべくもあらねど一言二言の忠告など思いつくままに申し述べてかくて後大人の縦横なる筆力もて全く綴られしを一閲するにその文章のたくみなる勿論もちろん主人などの及ぶところにあらず小説文壇に新しき光彩を添なんものはけだしこの冊子にあるべけれと感じてはなは僭越せんえつの振舞にはあれどただ所々片言隻句せっくの穩かならぬふしを刪正さんせいしてついに公にすることとなりぬ合作の名はあれどもその実四迷大人の筆に成りぬ文章の巧なる所趣向の面白き所はすべて四迷大人の骨折なり主人の負うところはひとり僭越のとがのみ読人うその心してみそなわせついでながら彼の八犬伝水滸伝すいこでんの如き規摸の目ざましきを喜べる目をもてこの小冊子を評したまう事のなからんには主人はかくも二葉亭の大人否小説の霊が喜ぶべしと云爾

第二十年夏

春の屋主人

[#改ページ]

第一編

第一回 アアラ怪しの人の挙動ふるまい

千早振ちはやふ神無月かみなづきももはや跡二日ふつか余波なごりとなッた二十八日の午後三時頃に、神田見附かんだみつけの内より、塗渡とわたあり、散る蜘蛛くもの子とうようよぞよぞよ沸出わきいでて来るのは、いずれもおとがいを気にしたまう方々。 しかし熟々つらつら見てとく※(「てへん+僉」、第3水準1-84-94)てんけんすると、これにも種々さまざま種類のあるもので、まずひげから書立てれば、口髭、頬髯ほおひげあごひげやけ興起おやした拿破崙髭ナポレオンひげに、チンの口めいた比斯馬克髭ビスマルクひげ、そのほか矮鶏髭ちゃぼひげ貉髭むじなひげ、ありやなしやの幻の髭と、濃くもうすくもいろいろに生分はえわかる。 髭に続いてちがいのあるのは服飾みなり 白木屋しろきや仕込みの黒物くろいものずくめには仏蘭西フランス皮のくつ配偶めおとはありうち、これを召す方様かたさまの鼻毛は延びて蜻蛉とんぼをもるべしという。 これよりくだっては、背皺せじわよると枕詞まくらことばの付く「スコッチ」の背広にゴリゴリするほどの牛の毛皮靴、そこでかかとにお飾をたやさぬところからどろに尾を亀甲洋袴かめのこズボン、いずれもつるしんぼうの苦患くげんを今に脱せぬ貌付かおつき デモ持主は得意なもので、髭あり服あり我またなにをか※(「不/見」、第3水準1-91-88)もとめんと済した顔色がんしょくで、火をくれた木頭もくず反身そっくりかえッてお帰り遊ばす、イヤおうらやましいことだ。 そのあとより続いて出てお出でなさるはいずれも胡麻塩ごましお頭、弓と曲げても張の弱い腰に無残やから弁当を振垂ぶらさげてヨタヨタものでお帰りなさる。 さては老朽してもさすがはまだ職にえるものか、しかし日本服でも勤められるお手軽なお身の上、さりとはまたお気の毒な。

途上人影ひとけれに成った頃、同じ見附の内より両人ふたり少年わかものが話しながら出て参った。 一人は年齢ねんぱい二十二三の男、顔色は蒼味あおみ七分に土気三分、どうもよろしくないが、ひいでまゆ儼然きっとした眼付で、ズーと押徹おしとおった鼻筋、ただおしいかな口元がと尋常でないばかり。 しかししまりはよさそうゆえ、絵草紙屋の前に立っても、パックリくなどという気遣きづかいは有るまいが、とにかく顋がとがって頬骨があらわれ、非道ひど※(「やまいだれ+瞿」、第3水準1-88-62)やつれているせいか顔の造作がとげとげしていて、愛嬌気あいきょうげといったら微塵みじんもなし。 醜くはないが何処どこともなくケンがある。 せいはスラリとしているばかりで左而已さのみ高いという程でもないが、痩肉やせじしゆえ、半鐘なんとやらという人聞の悪い渾名あだなに縁が有りそうで、年数物ながら摺畳皺たたみじわの存じた霜降しもふり「スコッチ」の服を身にまとッて、組紐くみひも盤帯はちまきにした帽檐広つばびろな黒羅紗ラシャの帽子をいただいてい、今一人は、前の男より二ツ三ツ兄らしく、中肉中背で色白の丸顔、口元の尋常な所から眼付のパッチリとした所は仲々の好男子ながら、顔立がひねてこせこせしているので、何となく品格のない男。 黒羅紗の半「フロックコート」に同じ色の「チョッキ」、洋袴は何か乙なしま羅紗で、リュウとした衣裳附いしょうづけふちの巻上ッた釜底形かまぞこがたの黒の帽子を眉深まぶかかぶり、左の手を隠袋かくしへ差入れ、右の手で細々としたつえ玩物おもちゃにしながら、高い男に向い、

「しかしネー、し果して課長が我輩を信用しているなら、けだむを得ざるにでたんだ。 何故なぜと言ッて見給え、局員四十有余名と言やア大層のようだけれども、みんな腰の曲ッた老爺じいさんあらざれば気のかないやつばかりだろう。 その内で、こう言やア可笑おかしい様だけれども、若手でサ、原書もちったアかじっていてサ、そうして事務を取らせてはかく者と言ったら、マア我輩二三人だ。 だから若し果して信用しているのなら、やむを得ないのサ」

「けれども山口を見給え、事務を取らせたらあの男程捗の往く者はあるまいけれども、やっぱり免をったじゃアないか」

彼奴あいつはいかん、彼奴は馬鹿だからいかん」

「何故」

「何故と言って、彼奴は馬鹿だ、課長に向って此間こないだのような事を言う所を見りゃア、いよいよ馬鹿だ」

「あれは全体課長が悪いサ、自分が不条理な事を言付けながら、何にもあんなに頭ごなしにいうこともない」

「それは課長の方が或は不条理かも知れぬが、しかしいやしくも長官たる者に向って抵抗を試みるなぞというなア、馬鹿の骨頂だ。 まず考えて見給え、山口は何んだ、属吏じゃアないか。 属吏ならば、仮令たとい課長の言付を条理と思ったにしろ思わぬにしろ、ハイハイ言ってその通り処弁しょべんして往きゃア、職分は尽きてるじゃアないか。 しかるに彼奴のように、苟も課長たる者に向ってあんな差図がましい事を……」

序章-章なし
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浮雲 - 情報

浮雲

うきぐも

文字数 112,344文字

著者リスト:

底本 浮雲

青空情報


底本:「浮雲」新潮文庫、新潮社
   1951(昭和26)年12月15日初版発行
   1997(平成9)年4月10日81刷
初出:「新編浮雲」金港堂
   1887(明治20)年6月発行
※「」と「匆」、「」と「耋」、「掻頭」と「挿頭」、「座舗」と「坐舗」の混在は底本通りです。
入力:佐野暢之、任天堂
校正:門田裕志、小林繁雄
2008年12月1日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:浮雲

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