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福翁自伝 02 福翁自伝

著者:福澤諭吉

ふくおうじでん - ふくざわ ゆきち

文字数:32,875 底本発行年:1899
著者リスト:
著者福沢 諭吉
親本: 福翁自傳
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序章-章なし

慶應義塾の社中にては、西洋の学者に往々みずから伝記を記すの例あるをもって、兼てより福澤先生自伝の著述を希望して、親しくこれを勧めたるものありしかども、先生の平生はなはだ多忙にして執筆の閑を得ずそのままに経過したりしに、一昨年の秋、る外国人のもとめに応じて維新前後の実歴談を述べたる折、と思い立ち、幼時より老後に至る経歴の概略を速記者に口授して筆記せしめ、みずから校正を加え、福翁自伝と題して、昨年七月より本年二月までの時事新報に掲載したり。 本来この筆記は単に記憶に存したる事実を思い出ずるまゝに語りしものなれば、あたかも一場の談話にして、もとより事の詳細をくしたるにあらず。 れば先生のかんがえにては、新聞紙上に掲載を終りたる後、らにみずから筆をとりてその遺漏いろうを補い、又後人の参考のめにとて、幕政の当時親しく見聞したる事実にり、我国開国の次第より幕末外交の始末を記述して別に一編とし、自伝の後に付するの計画にして、すでにその腹案も成りたりしに、昨年九月中、にわかに大患にかかりてその事を果すを得ず。 誠に遺憾なれども、今後先生の病いよ/\全癒の上は、兼ての腹案を筆記せしめて世におおやけにし、以て今日の遺憾を償うことあるべし。

明治三十二年六月

時事新報社 石河幹明いしかわみきあき 記

[#改ページ]

幼少の時

福澤諭吉の父は豊前ぶぜん中津奥平おくだいら藩の士族福澤百助ひゃくすけ、母は同藩士族、橋本浜右衛門はしもとはまえもんの長女、名を於順おじゅんと申し、父の身分はヤット藩主に定式じょうしきの謁見が出来るとうのですから足軽あしがるよりは数等よろしいけれども士族中の下級、今日で云えばず判任官の家でしょう。 藩で云う元締役もとじめやくを勤めて大阪にある中津藩の倉屋敷くらやしきに長く勤番して居ました。 れゆえ家内残らず大阪に引越ひきこして居て、私共わたしどもは皆大阪で生れたのです。 兄弟五人、総領の兄の次に女の子が三人、私は末子ばっし 私の生れたのは天保五年十二月十二日、父四十三歳、母三十一歳の時の誕生です。 ソレカラ天保七年六月、父が不幸にして病死。 跡にのこるは母一人に子供五人、兄は十一歳、私はかぞえ年で三つ。 くなれば大阪にも居られず、兄弟残らず母に連れられて藩地の中津に帰りました。

兄弟五人中津の風に合わず

儒教主義の教育

厳ならずして家風正し

成長の上、坊主にする

門閥制度は親の敵

年十四、五歳にして始めて読書に志す

左伝通読十一偏

手端器用なり

鋸鑢に驚く

青天白日に徳利

れから私の兄は年を取て居て色々の朋友がある。 時勢論などをして居たのを聞たこともある、けれども私は夫れに就てくちばしれるような地位でない。 ただ追使おいつかわれるばかり。 その時、中津の人気にんき如何どうかとえば、学者はこぞって水戸の御隠居様ごいんきょさますなわ烈公れっこうの事と、越前の春嶽しゅんがく様の話が多い。 学者は水戸の老公ろうこうと云い、俗では水戸の御隠居様と云う。 御三家ごさんけの事だから譜代ふだい大名の家来は大変にあがめて、仮初かりそめにも隠居などゝ呼棄よびすてにする者は一人ひとりもない。 水戸の御隠居様、水戸の老公と尊称して、天下一の人物のように話して居たから、私も左様そうおもって居ました。 ソレカラ江川太郎左衛門えがわたろうざえもんも幕府の旗本はたもとだから、江川様とかげでもきっ様付さまづけにして、これも中々評判が高い。 或時あるとき兄などの話に、江川太郎左衛門と云う人は近世の英雄で、寒中あわせ一枚着て居ると云うような話をして居るのを、私がそばから一寸ちょいと聞て、にそのくらいの事は誰でも出来ると云うような気になって、ソレカラ私は誰にも相談せずに、毎晩掻巻かいまき一枚いちまい敷蒲団しきぶとんも敷かず畳の上に寝ることを始めた。 スルト母は之を見て、何の真似か、ソンナ事をすると風邪を引くといって、しきりにめるけれども、トウ/\聴かずに一冬ひとふゆ通したことがあるが、れも十五、六歳の頃、ただ人に負けぬ気でやったので身体からだも丈夫であったと思われる。

兄弟問答

母もまた随分妙な事をよろこんで、世間並せけんなみには少し変わって居たようです。 一体下等社会の者に附合つきあうことが数寄すきで、出入りの百姓町人は無論むろん穢多えったでも乞食でも颯々さっさつと近づけて、軽蔑もしなければいやがりもせず言葉など至極しごく丁寧でした。

序章-章なし
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福翁自伝 - 情報

福翁自伝 02 福翁自伝

ふくおうじでん 02 ふくおうじでん

文字数 32,875文字

著者リスト:
著者福沢 諭吉

底本 福澤諭吉著作集 第12巻 福翁自伝 福澤全集緒言

親本 福翁自傳

青空情報


底本:「福澤諭吉著作集 第12巻 福翁自伝 福澤全集緒言」慶應義塾大学出版会
   2003(平成15)年11月17日初版第1刷発行
底本の親本:「福翁自傳」時事新報社
   1899(明治32)年6月15日発行
初出:「時事新報」時事新報社
   1898(明治31)年7月1日号〜1899(明治32)年2月16日号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、次の箇所では、大振りにつくっています。
「長崎遊学中の逸事」の「三ヶ寺」
「兄弟中津に帰る」の「二ヶ年」
「小石川に通う」の「護持院(ごじいん)ヶ原(はら)」
「女尊男卑の風俗に驚」の「安達(あだち)ヶ原(はら)」
「不在中桜田の事変」の「六ヶ年」
「松木、五代、埼玉郡に潜む」の「六ヶ月」
「下ノ関の攘夷」の「英仏蘭米四ヶ国」
「剣術の全盛」の「関ヶ原合戦」
「発狂病人一条米国より帰来」の「一ヶ条」
※「翻」と「飜」、「子供」と「小供」、「煙草」と「烟草」、「普魯西」と「普魯士」、「華盛頓」と「華聖頓」、「大阪」と「大坂」、「函館」と「箱館」、「気」と「気焔」、「免(まぬか)れ」と「免(まぬ)かれ」、「一寸(ちょい)と」と「一寸(ちょいと)」と「一寸(ちょっと)」、「積(つも)り」と「積(つもり)」の混在は、底本通りです。
※底本の編者による語注は省略しました。
※窓見出しは、自筆草稿にある書き入れに従って底本編集時に追加されたもので、文章の途中に挿入されているものもあります。本テキストでは富田正文校注「福翁自伝」慶應義塾大学出版会、2003(平成15)年4月1日発行を参考に該当箇所に近い文章の切れ目に挿入しました。
※底本では正誤訂正を〔 〕に入れてルビのように示しています。補遺は自筆草稿に従って〔 〕に入れて示しています。
※誤植を疑った箇所を、底本の親本の表記にそって、あらためました。
入力:田中哲郎
校正:りゅうぞう
2017年5月17日作成
2017年7月21日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:福翁自伝

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