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貧乏物語

著者:河上肇

びんぼうものがたり - かわかみ はじめ

文字数:105,192 底本発行年:1947
著者リスト:
著者河上 肇
底本: 貧乏物語
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序章-章なし

この物語は、最初余が、大正五年九月十一日より同年十二月二十六日にわたり、断続して大阪おおさか朝日新聞に載せてもらったそのままのものである。 今これを一冊子にまとめて公にせんとするに当たり、余は幾度かこれが訂正増補を企てたれども、筆を入るれば入るるほど統一が破れて襤褸ぼろが出る感じがするので、一二文字の末を改めたほかは、いったん加筆した部分もすべて取り消して、ただ各項の下へ掲載された新聞紙の月日を記入するにとどめておいた。 ただし貧乏線を論ずるのちなみに額田ぬかだ博士の著書を批評した一節は、その後同博士の説明を聞くに及び、余にも誤解ありしを免れずと信ずるに至りしがゆえに、これを削除してやむなくその跡へ他の記事を填充てんじゅうし、また英国の食事公給条例のことを述べし項下には、事のついでと思って、この条例の全文を追加しておいた。 ただこの二個所がおもなる加筆であるが、しかしそれでさえ、こうして印刷してみると、いかにもよけいなこぶができたようで、むだなことをしたものだと後悔している次第である。 過去十数年間私はいろいろな物を書いたけれども、この論文ほどまとまったものはない。 自分ではこれが今日までの最上の著作だと思う。 と言ったからとて、――念のために付け加えておくが――世間の相場でこれを良書の一と認めてもらいたいなどという意味の要求をするのでは毛頭ない。

人はパンのみにて生くものにあらず、されどまたパンなくして人は生くものにあらずというが、この物語の全体を貫く著者の精神の一である。 思うに経済問題が真に人生問題の一部となり、また経済学が真に学ぶに足るの学問となるも、全くこれがためであろう。 昔は孔子のいわく、富にして求むべくんば執鞭しつべんの士といえどもわれまたこれをさん、もし求むべからずんばわが好むところに従わんと。 いにしえの儒者これを読んで、富にして求めうべきものならば賤役せんえきといえどもこれをなさん、しかれども富は求めてべからず、ゆえにわが好むところに従いて古人の道を楽しまんと解せるがごときは、おそらく孔子の真意を得たるものにあらざらん。 孔子また言わずや、あしたに道を聞かば夕べに死すとも可なりと。 言うこころは、人生唯一の目的は道を聞くにある、もし人生の目的が富を求むるにあるならば、決して自分の好悪をもってこれを避くるものにあらず、たといいかようの賤役なりともこれに従事して人生の目的を遂ぐべけれども、いやしくもしからざる以上、わが好むところに従わんというにある。 もし余にして、かく解釈することにおいてはなはだしき誤解をなしおるにあらざる以上、余はこの物語において、まさに孔子の立場を奉じて富を論じ貧を論ぜしつもりである。 一部の経済学者は、いわゆる物質的文明の進歩――富の増殖――のみをもって文明の尺度となすの傾きあれども、余はできうるだけ多数の人が道を聞くに至る事をもってのみ、真実の意味における文明の進歩と信ずる。 しかも一経済学者たる自己現在の境遇に安んじ、日々富を論じ貧を論じてあえてむことなきゆえんのものは、かつて孟子もうしの言えるがごとく、恒産こうさんなくして恒心こうしんあるはただ士のみよくするをなす、民のごときはすなわち恒産なくんばって恒心なく、いやしくも恒心なくんば放辟邪侈ほうへきじゃし、ますます道に遠ざかるを免れざるに至るを信ずるがためのみである。 ラスキンの有名なる句に There is no wealth, but life(富何者ぞただ生活あるのみ)ということがあるが、富なるものは人生の目的――道を聞くという人生唯一の目的、ただその目的を達するための手段としてのみ意義あるに過ぎない。 しかして余が人類社会より貧乏を退治せんことを希望するも、ただその貧乏なるものがかくのごとく人の道を聞くの妨げとなるがためのみである。 読者もしこの物語の著者を解して、飽食暖衣をもって人生の理想となすものとされずんば幸いである。

著者経済生活の理想化を説くや、高く向上の一路をさすに似たりといえども、彼あによくその説くところを自ら行ない得たりと言わんや。 ただ平生の志を言うのみ。 しかも読者もしその人をもってその言を捨てずんば、著者の本懐これに過ぐるはあらざるべし。

巻頭に掲ぐるところの画像は、経済学の開祖アダム・スミスの肖像である。 今や氏の永眠をさること百有余年、時勢の変に伴うて学説の改造を要するものもとより少なからずといえども、いやしくも斯学しがくを攻究する者にして氏の学恩をこうむらざる者はほとんどまれなり。 ことにその潜心窮理の勝躅しょうちょくに至っては、ことごとく採ってもって後学の範となすべきものがある。 すなわちその画像を巻首に載せ、いささか追慕の意を表する次第である。 原図はアダム・スミス永眠後二十年、すなわち一八一一年の十一月二十五日、ロンドンなる一書林より発売せし一枚売りの肖像にして、現に京都帝国大学付属図書館に蔵するもの。 印刷の都合により画像とその下なる数行の文字との間隔をば少しく縮めたるほかは、きわめて忠実に原図を複写せしものである。

この物語には細目を付せず。 こは必ずしも労をいといてにはあらず、ただ読まるべくんば全編を通読されんこと、これ著者の希望なるがためである。

付録としてロイド・ジョージに関する拙文二編を収む。 一は昨年の七月執筆せしものにて、他は本年の一月稿を成せしものである。 けだし氏は真に貧乏根治の必要を理解せる大政治家の一人として、著者の平生最も尊敬するところ。 あわせ録して敬意をいたすの徴となすゆえんである。

本書の装幀そうていはすべて舎弟の手を煩わす。 すなわち本書の印刷と発行は皆これを京都において営み得たるが上に、文章と装幀に至ってはことごとくわが家の産物である。 思うにこの書成るの日、一本を父に送らば、おそらく莞爾かんじとしてしばらくは手に巻を放たれざらん。

大正六年一月二十五日

序章-章なし
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貧乏物語 - 情報

貧乏物語

びんぼうものがたり

文字数 105,192文字

著者リスト:
著者河上 肇

底本 貧乏物語

青空情報


底本:「貧乏物語」岩波文庫、岩波書店
   1947(昭和22)年9月5日第1刷発行
   1965(昭和40)年10月16日第30刷改版発行
   1978(昭和53)年11月10日第47刷発行
初出:貧乏物語「大阪朝日新聞」
   1916(大正5)年9月11日〜12月26日
   ロイド・ジョージ「大阪朝日新聞」
   1916(大正5)年7月14日、1917(大正6)年1月9日〜11日
※注釈記号「*」は底本では、直前の文字の右横にルビのように付いています。
※底本で区切りに使われている「*」は注釈記号と重複するので「×」に変更しました。
※2行にわたる波括弧はけい線素片で代用しました。
※「二の二」の「ローンツリー『貧乏』縮刷版」と「ボウレイ『生計と貧乏』」の表のレイアウトを、読みやすさを優先して調整しました。
※「需要はすなわち本(と)で」は、校正に使用した第63刷の表記に従って「需要はすなわち本(もと)で」とあらためました。
※添付の画像ファイルは「貧乏物語」(弘文堂書房、大正6年3月1日発行、大正6年4月20日改訂第7版)のものを使用しました。
入力:sogo
校正:鈴木厚司
2008年4月7日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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