藤村詩抄 島崎藤村自選
著者:島崎藤村
とうそんししょう - しまざき とうそん
文字数:33,936 底本発行年:1927
自序
若菜集、一葉舟、夏草、落梅集の四卷をまとめて合本の詩集をつくりし時に
遂に、新しき詩歌の時は來りぬ。
そはうつくしき曙のごとくなりき。 あるものは古の預言者の如く叫び、あるものは西の詩人のごとくに呼ばゝり、いづれも明光と新聲と空想とに醉へるがごとくなりき。
うらわかき想像は長き眠りより覺めて、民俗の言葉を飾れり。
傳説はふたゝびよみがへりぬ。 自然はふたゝび新しき色を帶びぬ。
明光はまのあたりなる生と死とを照せり、過去の壯大と衰頽とを照せり。
新しきうたびとの群の多くは、たゞ穆實なる青年なりき。 その藝術は幼稚なりき、不完全なりき、されどまた僞りも飾りもなかりき。 青春のいのちはかれらの口脣にあふれ、感激の涙はかれらの頬をつたひしなり。 こゝろみに思へ、清新横溢なる思潮は幾多の青年をして殆ど寢食を忘れしめたるを。 また思へ、近代の悲哀と煩悶とは幾多の青年をして狂せしめたるを。 われも拙き身を忘れて、この新しきうたびとの聲に和しぬ。
詩歌は靜かなるところにて思ひ起したる感動なりとかや。 げにわが歌ぞおぞき苦鬪の告白なる。
なげきと、わづらひとは、わが歌に殘りぬ。 思へば、言ふぞよき。 ためらはずして言ふぞよき。 いさゝかなる活動に勵まされてわれも身と心とを救ひしなり。
誰か舊き生涯に安んぜむとするものぞ。 おのがじゝ新しきを開かんと思へるぞ、若き人々のつとめなる。 生命は力なり。 力は聲なり。 聲は言葉なり。 新しき言葉はすなはち新しき生涯なり。
われもこの新しきに入らんことを願ひて、多くの寂しく暗き月日を過しぬ。
藝術はわが願ひなり。 されどわれは藝術を輕く見たりき。 むしろわれは藝術を第二の人生と見たりき。 また第二の自然とも見たりき。
あゝ詩歌はわれにとりて自ら責むるの鞭にてありき。 わが若き胸は溢れて、花も香もなき根無草四つの卷とはなれり。 われは今、青春の記念として、かゝるおもひでの歌ぐさかきあつめ、友とする人々のまへに捧げむとはするなり。
明治卅七年の夏藤村
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抄本を出すにつきて
二十五六といふ青年時代が二度と自分の生涯には來ないやうに、最初の詩集も自分には二册とは無いものだ。 その意味から、曾て私はこれらの詩を作つた當時のことを原本の詩集のはじに書きつけて置いたこともある。