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魚河岸

著者:芥川龍之介

うおがし - あくたがわ りゅうのすけ

文字数:2,108 底本発行年:1971
著者リスト:
著者:芥川 竜之介
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序章-章なし

去年の春の夜(よ)、――と云ってもまだ風の寒い、月の冴(さ)えた夜(よる)の九時ごろ、保吉(やすきち)は三人の友だちと、魚河岸(うおがし)の往来を歩いていた。 三人の友だちとは、俳人の露柴(ろさい)、洋画家の風中(ふうちゅう)、蒔画師(まきえし)の如丹(じょたん)、――三人とも本名(ほんみょう)は明(あか)さないが、その道では知られた腕(うで)っ扱(こ)きである。 殊に露柴(ろさい)は年かさでもあり、新傾向の俳人としては、夙(つと)に名を馳(は)せた男だった。

我々は皆酔っていた。 もっとも風中と保吉とは下戸(げこ)、如丹は名代(なだい)の酒豪(しゅごう)だったから、三人はふだんと変らなかった。 ただ露柴はどうかすると、足もとも少々あぶなかった。 我々は露柴を中にしながら、腥(なまぐさ)い月明りの吹かれる通りを、日本橋(にほんばし)の方へ歩いて行った。

露柴は生(き)っ粋(すい)の江戸(えど)っ児(こ)だった。 曾祖父(そうそふ)は蜀山(しょくさん)や文晁(ぶんちょう)と交遊の厚かった人である。 家も河岸(かし)の丸清(まるせい)と云えば、あの界隈(かいわい)では知らぬものはない。 それを露柴はずっと前から、家業はほとんど人任せにしたなり、自分は山谷(さんや)の露路(ろじ)の奥に、句と書と篆刻(てんこく)とを楽しんでいた。 だから露柴には我々にない、どこかいなせな風格があった。 下町気質(したまちかたぎ)よりは伝法(でんぼう)な、山の手には勿論縁の遠い、――云わば河岸の鮪(まぐろ)の鮨(すし)と、一味相通ずる何物かがあった。 ………

露柴はさも邪魔(じゃま)そうに、時々外套(がいとう)の袖をはねながら、快活に我々と話し続けた。 如丹は静かに笑い笑い、話の相槌(あいづち)を打っていた。 その内に我々はいつのまにか、河岸の取(とっ)つきへ来てしまった。 このまま河岸を出抜けるのはみんな妙に物足りなかった。 するとそこに洋食屋が一軒、片側(かたかわ)を照らした月明りに白い暖簾(のれん)を垂らしていた。 この店の噂は保吉さえも何度か聞かされた事があった。 「はいろうか?」「はいっても好(い)いな。」 ――そんな事を云い合う内に、我々はもう風中を先に、狭い店の中へなだれこんでいた。

店の中には客が二人、細長い卓(たく)に向っていた。 客の一人は河岸の若い衆、もう一人はどこかの職工らしかった。 我々は二人ずつ向い合いに、同じ卓に割りこませて貰(もら)った。 それから平貝(たいらがい)のフライを肴(さかな)に、ちびちび正宗(まさむね)を嘗め始めた。 勿論下戸(げこ)の風中や保吉は二つと猪口(ちょく)は重ねなかった。 その代り料理を平げさすと、二人とも中々(なかなか)健啖(けんたん)だった。

この店は卓も腰掛けも、ニスを塗らない白木(しらき)だった。 おまけに店を囲う物は、江戸伝来の葭簀(よしず)だった。 だから洋食は食っていても、ほとんど洋食屋とは思われなかった。 風中は誂(あつら)えたビフテキが来ると、これは切り味(み)じゃないかと云ったりした。 如丹はナイフの切れるのに、大いに敬意を表していた。 保吉はまた電燈の明るいのがこう云う場所だけに難有(ありがた)かった。 露柴も、――露柴は土地っ子だから、何も珍らしくはないらしかった。 が、鳥打帽(とりうちぼう)を阿弥陀(あみだ)にしたまま、如丹と献酬(けんしゅう)を重ねては、不相変(あいかわらず)快活にしゃべっていた。

するとその最中(さいちゅう)に、中折帽(なかおれぼう)をかぶった客が一人、ぬっと暖簾(のれん)をくぐって来た。 客は外套の毛皮の襟(えり)に肥った頬(ほお)を埋(うず)めながら、見ると云うよりは、睨(にら)むように、狭い店の中へ眼をやった。 それから一言(いちごん)の挨拶(あいさつ)もせず、如丹と若い衆との間の席へ、大きい体を割りこませた。

序章-章なし
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魚河岸 - 情報

魚河岸

うおがし

文字数 2,108文字

著者リスト:

底本 芥川龍之介全集5

親本 筑摩全集類聚版芥川龍之介全集

青空情報


底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年2月24日第1刷発行
   1995(平成7)年4月10日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:earthian
1998年12月28日公開
2004年3月9日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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