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小説 不如帰

著者:徳冨蘆花

しょうせつ ほととぎす - とくとみ ろか

文字数:128,381 底本発行年:1938
著者リスト:
著者徳冨 蘆花
底本: 小説 不如帰
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第百版不如帰の巻首に

不如帰ふじょきが百版になるので、校正かたがた久しぶりに読んで見た。 お坊っちゃん小説である。 単純な説話で置いたらまだしも、無理に場面をにぎわすためかき集めた千々石ちぢわ山木やまきの安っぽい芝居しばいがかりやら、小川おがわ某女の蛇足だそくやら、あらをいったら限りがない。 百版という呼び声に対してももっとどうにかしたい気もする。 しかし今さら書き直すのも面倒だし、とうとうほンの校正だけにした。

十年ぶりに読んでいるうちにはしなく思い起こした事がある。 それはこの小説の胚胎はいたいせられた一せきの事。 もう十二年ぜんである、相州そうしゅう逗子ずしの柳屋といううちを借りて住んでいたころ、病後の保養に童男こども一人ひとり連れて来られた婦人があった。 夏の真盛りで、宿という宿は皆ふさがって、途方に暮れておられるのを見兼ねて、さいと相談の上自分らが借りていた八畳二室ふたまのその一つを御用立てることにした。 夏のことでなかの仕切りはかたばかりの小簾おす一重ひとえ、風も通せば話も通う。 一月ひとつきばかりの間に大分だいぶ懇意になった。 三十四五の苦労をした人で、(不如帰の小川某女ではない)大層情の深い話上手じょうずかただった。 夏も末方のちと曇ってしめやかな晩方の事、童男こどもは遊びに出てしまう、婦人と自分と妻と雑談しているうちに、ふと婦人がさる悲酸の事実だんを話し出された。 もうそのころは知る人は知っていたが自分にはまだ初耳の「浪子なみこ」の話である。 「浪さん」が肺結核で離縁された事、「武男たけお君」は悲しんだ事、片岡かたおか中将が怒ってむすめを引き取った事、病女のために静養室を建てた事、一生の名残なごりに「浪さん」を連れて京阪けいはんゆうをした事、川島家かわしまけからよこした葬式の生花しょうかを突っ返した事、単にこれだけが話のなかの事実であった。 婦人は鼻をつまらせつつしみじみ話す。 自分は床柱とこばしらにもたれてぼんやりきいている。 さいかしらをたれている。 日はいつか暮れてしもうた。 古びた田舎家いなかや間内まうちが薄ぐらくなって、話す人の浴衣ゆかたばかり白く見える。 臨終のあわれを話して「そうお言いだったそうですってね――もうもう二度と女なんかに生まれはしない」――言いかけて婦人はとうとう嘘唏きょきして話をきってしもうた。 自分の脊髄せきずいをあるものがいなずまのごとく走った。

婦人は間もなく健康になって、かの一せきはなし土産みやげに都に帰られた。 逗子の秋は寂しくなる。 話の印象はいつまでも消えない。 朝な夕な波は哀音を送って、蕭瑟しょうしつたる秋光の浜に立てば影なき人の姿がつい眼前めさきに現われる。 かあいそうは過ぎて苦痛になった。 どうにかしなければならなくなった。 そこで話の骨に勝手な肉をつけて一編未熟の小説を起草して国民新聞に掲げ、後一冊として民友社から出版したのがこの小説不如帰である。

で、不如帰のまずいのは自分が不才のいたすところ、それにも関せず読者の感をふしがあるなら、それは逗子の夏の一夕にある婦人の口にって訴えた「浪子」が自ら読者諸君に語るのである。 要するに自分は電話の「はりがね」になったまでのこと。

明治四十二年二月二日昔の武蔵野今は東京府下

北多摩郡千歳村粕谷の里にて

徳冨健次郎識

[#改丁]

上編

一の一

上州じょうしゅう伊香保千明いかほちぎらの三階の障子しょうじ開きて、夕景色ゆうげしきをながむる婦人。 年は十八九。

第百版不如帰の巻首に

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小説 不如帰 - 情報

小説 不如帰

しょうせつ ほととぎす

文字数 128,381文字

著者リスト:
著者徳冨 蘆花

底本 小説 不如帰

青空情報


底本:「小説 不如帰」岩波文庫、岩波書店
   1938(昭和13)年7月1日第1刷発行
   1971(昭和46)年4月16日第34刷改版発行
※1898(明治31)年から翌年にかけて「国民新聞」に連載されたとき、不如帰には「ほととぎす」と読みが示してあった。後に著者は、本作品を「ふじょき」と呼び、巻頭の「第百版不如帰の巻首に」にも、そうルビが付してある。だが、底本は扉と奥付に、「ほととぎす」とルビを振っている。
入力:鈴木伸吾
校正:林 幸雄
2001年2月16日公開
2011年8月27日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:小説 不如帰

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