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みみずのたはこと

著者:徳冨健次郎

みみずのたわこと - とくとみ けんじろう

文字数:261,643 底本発行年:1933
著者リスト:
著者徳冨 健次郎
著者徳冨 蘆花
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序章-章なし

恒春園南面

[#改丁]

故人に

わし村住居むらずまいも、満六年になった。 こよみとしは四十五、鏡を見ると頭髪かみや満面の熊毛に白いのがふえたには今更いまさらの様に驚く。

元来田舎者のぼんやり者だが、近来ます/\杢兵衛もくべえ太五作式になったことを自覚する。 先日上野を歩いて居たら、車夫くるまやが御案内しましょうか、と来た。 銀座日本橋あたりで買物すると、田舎者扱いされて毎々腹を立てる。 あとでぺろり舌を出されるとは知りながら、上等のをいやごく上等じょうとうのをと気前を見せて言いでさっさと買って来る様な子供らしいこともついしたくなる。 然し店硝子みせがらすにうつる乃公だいこう風采ふうさいを見てあれば、例令たとえ其れが背広せびろや紋付羽織袴であろうとも、着こなしの不意気さ、薄ぎたない髯顔ひげがおの間抜け加減、如何に贔屓眼ひいきめに見ても――いや此では田舎者扱いさるゝが当然だと、苦笑にがわらいして帰って来る始末。 此程村の巡査が遊びに来た。 日清戦争の当時、出征軍人が羨ましくて、十五歳を満二十歳と偽り軍夫になって澎湖島ほうことうに渡った経歴もある男で、今は村の巡査をして、和歌など詠み、新年勅題の詠進などして居る。 其巡査の話に、正服せいふく帯剣たいけんで東京を歩いて居ると、あれは田舎のおまわりだと辻待つじまちの車夫がぬかす。 如何してかるかときいたら、で知れますと云ったと云って、大笑した。 成程なるほど眼で分かる――さもありそうなことだ。 の目、鷹の目、掏摸すりの眼、新聞記者の眼、其様そんな眼から見たら、鈍如どんよりした田舎者の眼は、さぞ馬鹿らしく見えることであろう。 実際馬鹿でなければ田舎住居は出来できぬ。 人にすれずに悧巧になる道はないから。

東京に出てはわしも立派な田舎者だが、田舎ではこれでもまだ中々ハイカラだ。 儂の生活状態も大分変った。 君が初めて来た頃のあのあばら家とは雲泥うんでいの相違だ。 尤も何方が雲かどろかは、其れは見る人の心次第だが、兎に角著しく変った。 引越した年の秋、お麁末そまつながら浴室ゆどのや女中部屋を建増した。 其れから中一年置いて、明治四十二年の春、八畳六畳のはなれの書院を建てた。 明治四十三年の夏には、八畳四畳板の間つきの客室兼物置を、ズッと裏の方に建てた。 明治四十四年の春には、二十五坪の書院を西の方に建てた。 而して十一間と二間半の一間幅の廊下を以て、母屋と旧書院と新書院の間を連ねた。 何れも茅葺、古い所で九十何年新しいのでも三十年からになる古家を買ったのだが、外見は随分立派で、村の者は粕谷御殿かすやごてんなぞ笑って居る。 二三年ぶりに来て見た男が、悉皆すっかり別荘式になったと云うた。 御本邸無しの別荘だが、実際別荘式になった。 畑も増して、今は宅地耕地で二千余坪よつぼになった。 以前は一切無門関、勝手かってに屋敷の中を通る小学校通いの子供の草履ばた/\で驚いて朝寝のねむりをさましたもので、乞食こじき物貰ものもらい話客千客万来であったが、今は屋敷中ぐるりと竹の四ツ目籬めがきや、※(「木+要」、第4水準2-15-13)かなめ、萩ドウダンの生牆いけがきをめぐらし、外から手をさし入れて明けられるような形ばかりのものだが、大小だいしょう六つの門や枝折戸が出入口をかためて居る。 われと籠を作って籠の中の鳥になって居るのが可笑おかしくもある。 但花や果物を無暗にあらされたり、無遠慮なお客様にわずらわさるゝよりまだ可と思うて居る。 個人でも国民でも斯様な所から「隔て」と云うものが出来、進んでは喧嘩けんか、訴訟、戦争なぞが生れるのであろう。

「後生願わん者は※(「米+太」、第3水準1-89-82)じんたがめ一つも持つまじきもの」とは実際だ。 物の所有は隔てのもとで、物の執着しゅうちゃくは争のである。 儂も何時しか必要と云う名の下に門やら牆やら作って了うた。

序章-章なし
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みみずのたはこと - 情報

みみずのたはこと

みみずのたわこと

文字数 261,643文字

著者リスト:
著者徳冨 蘆花

底本 みみずのたはこと(下)

親本 みみずのたはこと

青空情報


底本:「みみずのたはこと(上)」岩波文庫、岩波書店
   1938(昭和13)年4月15日第1刷発行
   1977(昭和52)年8月16日第24刷改版発行
   1996(平成8)年12月10日第30刷発行
   「みみずのたはこと(下)」岩波文庫、岩波書店
   1938(昭和13)年6月1日第1刷発行
   1977(昭和52)年11月16日第20刷改版発行
   1996(平成8)年12月10日第25刷発行
底本の親本:「みみずのたはこと」岩波書店
   1933(昭和8)年5月8日第1刷発行
※「徳冨健次郎」と「徳富健次郎」、「みみず」と「みゝず」と「みず」の混在は、底本通りです。
入力:奥村正明、小林繁雄
校正:小林繁雄
2002年9月27日作成
2016年2月3日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:みみずのたはこと

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