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トロツコ

著者:芥川龍之介

トロッコ - あくたがわ りゅうのすけ

文字数:4,328 底本発行年:1968
著者リスト:
著者芥川 竜之介
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序章-章なし

小田原熱海間に、軽便鉄道敷設の工事が始まつたのは、良平りやうへいの八つの年だつた。 良平は毎日村外むらはづれへ、その工事を見物に行つた。 工事を――といつた所が、唯トロツコで土を運搬する――それが面白さに見に行つたのである。

トロツコの上には土工が二人、土を積んだ後にたたずんでゐる。 トロツコは山を下るのだから、人手を借りずに走つて来る。 あふるやうに車台が動いたり、土工の袢纏はんてんの裾がひらついたり、細い線路がしなつたり――良平はそんなけしきを眺めながら、土工になりたいと思ふ事がある。 せめては一度でも土工と一しよに、トロツコへ乗りたいと思ふ事もある。 トロツコは村外れの平地へ来ると、自然と某処に止まつてしまふ。 と同時に土工たちは、身軽にトロツコを飛び降りるが早いか、その線路の終点へ車の土をぶちまける。 それから今度はトロツコを押し押し、もと来た山の方へ登り始める。 良平はその時乗れないまでも、押す事さへ出来たらと思ふのである。

或夕方、――それは二月の初旬だつた。 良平は二つ下の弟や、弟と同じ年の隣の子供と、トロツコの置いてある村外れへ行つた。 トロツコは泥だらけになつた儘、薄明るい中に並んでゐる。 が、その外は何処どこを見ても、土工たちの姿は見えなかつた。 三人の子供は恐る恐る、一番はしにあるトロツコを押した。 トロツコは三人の力が揃ふと、突然ごろりと車輪をまはした。 良平はこの音にひやりとした。 しかし二度目の車輪の音は、もう彼を驚かさなかつた。 ごろり、ごろり、――トロツコはさう云ふ音と共に、三人の手に押されながら、そろそろ線路を登つて行つた。

その内に彼是かれこれ十間程来ると、線路の勾配こうばいが急になり出した。 トロツコも三人の力では、いくら押しても動かなくなつた。 どうかすれば車と一しよに、押し戻されさうにもなる事がある。 良平はもう好いと思つたから、年下の二人に合図をした。

「さあ、乗らう?」

彼等は一度に手をはなすと、トロツコの上へ飛び乗つた。 トロツコは最初おもむろに、それから見る見る勢よく、一息に線路を下り出した。 その途端につき当りの風景は、たちまち両側へ分かれるやうに、ずんずん目の前へ展開して来る。 ――良平は顔に吹きつける日の暮の風を感じながら殆ど有頂天になつてしまつた。

しかしトロツコは二三分の後、もうもとの終点に止まつてゐた。

「さあ、もう一度押すぢやあ。」

良平は年下の二人と一しよに、又トロツコを押し上げにかかつた。 が、まだ車輪も動かない内に、突然彼等のうしろには、誰かの足音が聞え出した。 のみならずそれは聞え出したと思ふと、急にかう云ふ怒鳴り声に変つた。

「この野郎! 誰にことわつてトロにさはつた?」

其処には古い印袢纏しるしばんてんに、季節外れの麦藁帽むぎわらぼうをかぶつた、背の高い土工が佇んでゐる。 ――さう云ふ姿が目にはひつた時、良平は年下の二人と一しよに、もう五六間逃げ出してゐた。 ――それぎり良平は使の帰りに、人気ひとけのない工事場のトロツコを見ても、二度と乗つて見ようと思つた事はない。 唯その時の土工の姿は、今でも良平の頭の何処かに、はつきりした記憶を残してゐる。

序章-章なし
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トロツコ - 情報

トロツコ

トロッコ

文字数 4,328文字

著者リスト:

底本 現代日本文学大系 43 芥川龍之介集

青空情報


底本:「現代日本文学大系 43 芥川龍之介集」筑摩書房
   1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行
入力:j.utiyama
校正:野口英司
1998年3月23日公開
2004年3月13日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:トロツコ

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