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柿の種

著者:寺田寅彦

かきのたね - てらだ とらひこ

文字数:67,935 底本発行年:1961
著者リスト:
著者寺田 寅彦
底本: 柿の種
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自序

大正九年ごろから、友人松根東洋城まつねとうようじょうの主宰する俳句雑誌「渋柿」の巻頭第一ページに、「無題」という題で、時々に短い即興的漫筆を載せて来た。 中ごろから小宮豊隆こみやとよたかが仲間入りをして、大正十四、五年ごろは豊隆がもっぱらこの欄を受け持った。 昭和二年からは、豊隆と自分とがひと月代わりに書くことになった。 昭和六年からは「曙町あけぼのちょうより」という見出しで、豊隆の「仙台より」と、やはりだいたいひと月代わりに書いて来た。 それがだんだんに蓄積してかなりの分量になった。

今度、もと岩波書店でおなじみの小山二郎おやまじろう君が、新たに出版業をはじめるというので、この機会にこれらの短文を集めて小冊子を、同君の店から上梓じょうしするようにしないかとすすめられた。

元来が、ほとんど同人雑誌のような俳句雑誌のために、きわめて気楽に気ままに書き流したものである。 原稿の締め切りに迫った催促のはがきを受け取ってから、全く不用意に机の前へすわって、それから大急ぎで何か書く種を捜すというような場合も多かった。 雑誌の読者に読ませるというよりは、東洋城や豊隆に読ませるつもりで書いたものに過ぎない。 従って、身辺の些事さじに関するたわいもないフィロソフィーレンや、われながら幼稚な、あるいはいやみな感傷などが主なる基調をなしている。 言わば書信集か、あるいは日記の断片のようなものに過ぎないのである。 しかし、これだけ集めてみて、そうしてそれを、そういう一つの全体として客観して見ると、その間に一人の人間を通して見た現代世相の推移の反映のようなものも見られるようである。 そういう意味で読んでもらえるものならば、これを上梓するのも全く無用ではあるまいと思った次第である。

これらの短文の中のあるものは、その後に自分の書いた「他処行よそゆき」の随筆中に、少しばかりちがった着物をきて現われているのもある。 しかし、重複を避けるためにこれを取り除くとすると、この集の内容の自然な推移の連鎖を勝手に中断することになって、従って一つの忠実な記録としてのこの集の意味を成さぬことになるから、やはり、そういうのもかまわず残らず採録して、実際の年月順に並べることにした。

中には、ほんの二、三ではあるが、「無題」「曙町より」とは別の欄に載せた短文や書信がある。 これも実質的には全く同じものであるから、他のものといっしょにして年月の順に挿入することにした。

大正十三年ごろの「無題」に、ページの空白を埋めるために自画のカットを入れたのがある。 その中の数葉を選んでこの集の景物とする。 これも大正のジャーナリズムの世界の片すみに起こった、ささやかな一つの現象の記録というほかには意味はない。

この書の読者への著者の願いは、なるべく心のせわしくない、ゆっくりした余裕のある時に、一節ずつ間をおいて読んでもらいたいという事である。 (昭和八年六月、『柿の種』)

[#改丁]

[#ページの左右中央]

短章 その一

[#改ページ]

[#ページの左右中央]

棄てた一粒の柿の種

生えるも生えぬも

甘いも渋いも

畑の土のよしあし

[#改ページ]

日常生活の世界と詩歌の世界の境界は、ただ一枚のガラス板で仕切られている。

このガラスは、初めから曇っていることもある。

生活の世界のちりによごれて曇っていることもある。

二つの世界の間の通路としては、通例、ただ小さな狭い穴が一つ明いているだけである。

しかし、始終ふたつの世界に出入していると、この穴はだんだん大きくなる。

しかしまた、この穴は、しばらく出入しないでいると、自然にだんだん狭くなって来る。

自序

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柿の種 - 情報

柿の種

かきのたね

文字数 67,935文字

著者リスト:
著者寺田 寅彦

底本 柿の種

親本 寺田寅彦全集 第十一巻

青空情報


底本:「柿の種」岩波文庫、岩波書店
   1996(平成8)年4月16日第1刷発行
   1997(平成9)年10月15日第9刷発行
底本の親本:「寺田寅彦全集 第十一巻」岩波書店
   1961(昭和36)8月7日第1刷発行
※無題の短章の冒頭に添えられている「花のようなマーク」は、「*」で代えた。
※「*」には、見出し注記しなかった。
※「十四、五」「二、三」など、連続する数字をつなぐ際に底本が用いている半角の読点は、全角に変えた。
※底本の編集にあたっては、親本に加えて、「柿の種」小山書店、1946(昭和21)年、第12刷、「栃の実」小山書店、1936(昭和11)年も参照されている。
※「自序」から「曙町より(十一)」までは「柿の種」に、その他は「栃の実」に集録された作品である。
入力:山口美佐
校正:田中敬三
2003年7月2日作成
2010年11月8日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:柿の種

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