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川端康成へ

著者:太宰治

かわばたやすなりへ - だざい おさむ

文字数:2,069 底本発行年:1980
著者リスト:
著者太宰 治
底本: もの思う葦
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序章-章なし

あなたは文藝春秋九月号に私への悪口を書いて居られる。 「前略。 ――なるほど、道化の華の方が作者の生活や文学観を一杯に盛っているが、私見によれば、作者目下の生活にいやな雲ありて、才能の素直に発せざるうらみあった。」

おたがいに下手な嘘はつかないことにしよう。 私はあなたの文章を本屋の店頭で読み、たいへん不愉快であった。 これでみると、まるであなたひとりで芥川賞をきめたように思われます。 これは、あなたの文章ではない。 きっと誰かに書かされた文章にちがいない。 しかもあなたはそれをあらわに見せつけようと努力さえしている。 「道化の華」は、三年前、私、二十四歳の夏に書いたものである。 「海」という題であった。 友人の今官一、伊馬鵜平うへいに読んでもらったが、それは、現在のものにくらべて、たいへん素朴な形式で、作中の「僕」という男の独白なぞは全くなかったのである。 物語だけをきちんとまとめあげたものであった。 そのとしの秋、ジッドのドストエフスキイ論を御近所の赤松月船氏より借りて読んで考えさせられ、私のその原始的な端正でさえあった「海」という作品をずたずたに切りきざんで、「僕」という男の顔を作中の随所に出没させ、日本にまだない小説だと友人間に威張ってまわった。 友人の中村地平、久保隆一郎、それから御近所の井伏さんにも読んでもらって、評判がよい。 元気を得て、さらに手を入れ、消し去り書き加え、五回ほど清書し直して、それから大事に押入れの紙袋の中にしまって置いた。 今年の正月ごろ友人の檀一雄がそれを読み、これは、君、傑作だ、どこかの雑誌社へ持ち込め、僕は川端康成氏のところへたのみに行ってみる。 川端氏なら、きっとこの作品が判るにちがいない、と言った。

そのうちに私は小説に行きづまり、わば野ざらしを心に、旅に出た。 それが小さい騒ぎになった。

どんなに兄貴からののしられてもいいから、五百円だけ借りたい。 そうしてもういちど、やってみよう、私は東京へかえった。 友人たちの骨折りのおかげで私は兄貴から、これから二三年のあいだ、月々、五十円のお金をもらえることになった。 私はさっそく貸家を捜しまわっているうちに、盲腸炎を起し阿佐ヶ谷の篠原病院に収容された。 うみが腹膜にこぼれていて、少し手おくれであった。 入院は今年の四月四日のことである。 中谷孝雄が見舞いに来た。 日本浪曼派へはいろう、そのお土産として「道化の華」を発表しよう。 そんな話をした。 「道化の華」は檀一雄の手許てもとにあった。 檀一雄はなおも川端氏のところへ持って行ったらいいのだがなぞと主張していた。 私は切開した腹部のいたみで、一寸もうごけなかった。 そのうちに私は肺をわるくした。 意識不明の日がつづいた。 医者は責任を持てないと、言っていたと、あとで女房が教えてれた。 まる一月その外科の病院に寝たきりで、頭をもたげることさえようようであった。 私は五月に世田谷区経堂の内科の病院に移された。 ここに二カ月いた。 七月一日、病院の組織がかわり職員も全部交代するとかで、患者もみんな追い出されるような始末であった。

序章-章なし
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川端康成へ - 情報

川端康成へ

かわばたやすなりへ

文字数 2,069文字

著者リスト:
著者太宰 治

底本 もの思う葦

青空情報


底本:「もの思う葦」新潮文庫、新潮社
   1980(昭和55)年9月25日発行
   1998(平成10)年7月20日第38刷発行
入力:田中陽介
校正:鈴木厚司
2003年11月6日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:川端康成へ

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