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愛と美について

著者:太宰治

あいとびについて - だざい おさむ

文字数:12,728 底本発行年:1982
著者リスト:
著者太宰 治
底本: 新樹の言葉
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序章-章なし

兄妹、五人あって、みんなロマンスが好きだった。 長男は二十九歳。 法学士である。 ひとに接するとき、少し尊大ぶる悪癖があるけれども、これは彼自身の弱さをかばう鬼のめんであって、まことは弱く、とても優しい。 弟妹たちと映画を見にいって、これは駄作だ、愚劣だと言いながら、その映画のさむらいの義理人情にまいって、まず、まっさきに泣いてしまうのは、いつも、この長兄である。 それにきまっていた。 映画館を出てからは、急に尊大に、むっと不気嫌になって、みちみち一言も口をきかない。 生れて、いまだ一度も嘘言うそというものをついたことがないと、躊躇ちゅうちょせず公言している。 それは、どうかと思われるけれど、しかし、剛直、潔白の一面は、たしかに具有していた。 学校の成績は、あまりよくなかった。 卒業後は、どこへも勤めず、固く一家を守っている。 イプセンを研究している。 このごろ人形の家をまた読み返し、重大な発見をして、すこぶる興奮した。 ノラが、あのとき恋をしていた。 お医者のランクに恋をしていたのだ。 それを発見した。 弟妹たちを呼び集めて、そのところを指摘し、大声叱咤しった、説明に努力したが、徒労であった。 弟妹たちは、どうだか、と首をかしげて、にやにや笑っているだけで、一向に興奮の色を示さぬ。 いったいに、弟妹たちは、この兄を甘く見ている。 なめているふうがある。 長女は、二十六歳。 いまだ嫁がず、鉄道省に通勤している。 フランス語が、かなりよくできた。 脊丈せたけが、五尺三寸あった。 すごく、せている。 弟妹たちに、馬、と呼ばれることがある。 髪を短く切って、ロイド眼鏡をかけている。 心が派手で、誰とでもすぐ友達になり、一生懸命に奉仕して、捨てられる。 それが、趣味である。 憂愁、寂寥せきりょうの感を、ひそかに楽しむのである。 けれどもいちど、同じ課に勤務している若い官吏に夢中になり、そうして、やはり捨てられたときには、そのときだけは、流石さすがに、しんからげっそりして、の悪さもあり、肺が悪くなったと嘘をついて、一週間も寝て、それからくび繃帯ほうたいを巻いて、やたらにせきをしながら、お医者に見せに行ったら、レントゲンで精細にしらべられ、まれに見る頑強の肺臓であるといって医者にほめられた。 文学鑑賞は、本格的であった。 実によく読む。 洋の東西を問わない。 ちから余って自分でも何やら、こっそり書いている。 それは本箱の右の引き出しに隠して在る。 逝去せいきょ二年後に発表のこと、と書きしたためられた紙片が、その蓄積された作品の上に、きちんと載せられているのである。 二年後が、十年後と書き改められたり、二カ月後と書き直されたり、ときには、百年後、となっていたりするのである。 次男は、二十四歳。

序章-章なし
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愛と美について - 情報

愛と美について

あいとびについて

文字数 12,728文字

著者リスト:
著者太宰 治

底本 新樹の言葉

青空情報


底本:「新樹の言葉」新潮文庫、新潮社
   1982(昭和57)年7月25日初版発行
   1992(平成4)年11月15日17刷
初出:「愛と美について」竹村書房
   1939(昭和14)年5月
入力:田中久太郎
校正:鈴木厚司
2001年11月1日公開
2016年2月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

青空文庫:愛と美について

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